FC2ブログ
歌 人

今月の拙ブログでは、13日に頼朝、20日に義仲と源氏一族に関して取り上げましたが、またしても1週間間隔で登場するのが、

 源 実 朝


今日は、この鎌倉幕府・第3代征夷大将軍の命日・没後800周年にあたります。


        


実朝は1192(建久3)年に源頼朝と北条政子の第4子として生まれました。

1199年に頼朝が亡くなると、実朝の兄・頼家が18歳で第2代征夷大将軍に。

しかし従来の慣習を無視した独断政治が反発を招き、彼は就任後数ヶ月で権力を奪われ、1203年に起こった 『比企能員の変』 の後幽閉された翌年に暗殺されてしまいます。


兄・頼家が失脚した後、実朝は1203年9月に弱冠12歳で第3代征夷大将軍の座に。


とは言え、実権は北条氏の手に委ねられますが・・・。


その翌年、京都・坊門信清の娘・信子を正室に迎えた実朝は、順調に冠位を上げると同時に政権にも関与するようになり、周辺に起きた謀反の制圧にも成功。

宋への関心も高めた彼は、1218年10月に内大臣、12月には武士として初めて右大臣となりましたが、その異例の出世が彼の命を縮めてしまったのかもしれません。

翌1219(建久7)年1月27日、昇任を祝う鶴岡八幡宮参賀に赴き、神拝を終えて退出する際、大銀杏の陰に隠れていた兄・頼家の息子・公暁に、
「親の敵はかく討つぞ」と叫びながら斬りつけられ、絶命したのです。

       


※大銀杏の陰に隠れていた・・・という有名な逸話は当時はなく江戸時代に出てきたもので、真偽のほどは不明だそうな。
そしてこの大銀杏は2010年3月に強風のため倒壊してしまいました。


公暁はそれ以前に実朝の猶子(兄弟・親類などの子を親子関係を結ぶこと)となっていましたから、実質的には子供に殺された形。

実朝の首を持ち帰って脇に置いて食事をしたと伝えられる公暁ですが、頼った
乳母夫の三浦義村にすぐ殺されました。(生存説あり)

なぜ公暁が義父を襲撃したのか? この動機については

◆公暁本人が実朝から征夷大将軍の座を奪おうとした単独犯。
◆参賀当日、体調不良を理由に太刀持ちを他人に譲った北条義時が、源氏根絶を狙った。
◆三浦義村が北条家打倒を狙い、近かった公暁を利用した。
◆北条・三浦ら鎌倉御家人による、実朝専横を抑える共同クーデター


等々諸説ありますが、それぞれに矛盾点があるため未だ確定はしていません。

まぁ古今東西、犯人が暗殺された場合その真相は闇に葬られるものですが・・・。
うー

しかしこの暗殺によって、源氏将軍の血は絶たれ北条政権へと移行したことは確か。

政治では殆ど実績を残せなかったものの、勅撰和歌集に92首も入集し、小倉百人一首にも選ばれ、また 『金槐和歌集』 を残したことで歌人としての実績を残せたとが、せめてもの慰めと言えましょうか。

源氏の系譜を見ると、血で血を洗う構想劇の繰り返し・・・何となく映画『ゴッドファーザー』 シリーズの武家社会版を観ている気になるのは、私だけ?


                人気ブログランキング

スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック