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濡れ衣

皆さんは、我が国における〝四大死刑冤罪事件〟をご存知でしょうか?

財田川事件・松山事件・島田事件・・・どれもその事件名は耳にしたことがおありになると思いますが、残りのもうひとつ、日本で初めて死刑判決が再審によって覆され被告が無罪となったことで有名なのが、


 免田事件


しかし当該事件名の聞き覚えはあっても、その内容を詳しく知る人は意外と少ないような気がします。


それもそのはず・・・この事件が起きたのが、今からちょうど70年前の今日・1948(昭和23)年12月30日だったのですから。


同日午前3時頃、熊本県人吉市で祈祷師夫婦(76歳の夫と52歳)が殺害され、14歳と12歳の娘も重症を負わされた上に現金が盗まれるという、凄惨な事件が起きました。


翌年1月13日に玄米を盗んだとして別件逮捕された免田 栄さん(当時23歳)が3日後に犯行を自供したとされ、強盗殺人罪で起訴。

その3日間、警察は免田さんに対し絶食させたり眠らせないなどの拷問や脅迫を加え、意識朦朧とさせて自白を強要。


また免田さんが主張したアリバイについて食事を共にしていた女性に 「一緒にいたのが翌日だった」 と証言するよう誘導。

更に
公判に入ってから、免田さんが 「自白は強要された」 と主張するや、検察側は押収品を破棄(!)して証拠隠滅を図るという、信じられない暴挙をも犯しました。


結果的に強要された自白を根拠として1950年に熊本地裁は死刑判決を出し、翌年最高裁で上告が棄却されて死刑が確定。 


その後5回にわたる再審請求は全て棄却されました。


1979年に出された6回目の再審請求で

①アリバイを証明する明確な証拠が提示された

②検察側の主張する逃走経路に不自然な点が見受けられる

という指摘が
ようやく受理され、審議の結果1983(昭和58)年に無罪判決が言い渡されたのです。


事件発生から何と34年半・・・免田さんは57歳になっていました。


       


 しかし釈放されたものの、免田さんには試練が続きます。

顔を知られていた地元・熊本では釈放直後こそ歓迎されたものの、街を歩くと

「刑務所を出てきた人間は、歩き方が違う。」

などと陰口を叩かれ、いたたまれなくなって釈放後に結婚した奥さんの郷里・大牟田に転居を余儀なくされ、同地でもしばらくは同じ目に遭ったとか。

また受け取った9,000万円余という高額な補償金の使い道を詮索されるなど、週刊誌等マスメディアの憶測報道に悩まされたそうな。


実際には補償金の半額以上を弁護団や支援団体への謝礼金として渡したそうで、収監中は年金に加入できなかったためにそれも受け取れず、奥さんとつつましい生活が日々続いたのだそうな。


※但し免田さんの訴えにより、2013年6月に死刑再審無罪者に対し国民年金の給付等を行うための特例法(免田法)が議員立法で成立しています。

これだけ酷い目に遭いながら、免田さんは無実の自分を死刑囚に仕立てあげた警察・検察・裁判所に対しては


「許せんと思う一方、彼らのやったことも分かる。


刑事でも弁護士でも、ヤミで食料を買わんと生活できんような混乱した時代だったから。


今のように弁護士がついてしっかりとやってくれていたら、私はすぐに解放されていたと思う。」

と寛容な言葉を述べられています・・・が、DNAなど科学捜査が格段に進歩した現在でも、冤罪が起きないとは限りません。


         


 現在の裁判では、刑事事件の99%で有罪判決が出されており、裁判官は検察寄りといわれています。

それに免田事件同様、警察の証拠品紛失(廃棄?)は今でも起きています。

冤罪を防ぐためには、取り調べの全面可視化が最低条件でしょう。


それが実現しない限り、私たちもひとつ間違えば免田さんや足利事件の菅家さんと同じ立場に立たされる可能性がある事を、しっかりと認識しなければなりません。
うー


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