FC2ブログ
極 地

皆さんは、世界で初めて南極点の到達したのか誰か、ご存知ですょネ?

そう、ノルウェーの探検家・アムンセンです。(↓)


では、日本人で初めて南極点に到達したのは誰でしょう?

中には白瀬矗(のぶ)中尉と答える方がいらっしゃると思いますが、残念ながら不正解。


彼はアムンゼンやスコットと競争して南極を目指し、日本人で初めて南極探検を敢行しましたが、残念ながら南極点には到達できませんでした。

日本人で初めて南極点に到達したのは、後に国立極地研究所名誉教授を務めた


 
村山 雅美 氏 

彼が南極点に到達したのが、今からちょうど50年前の今日のことでした。

       


村山氏は1918(大正7)年、学習院の教員を務める父の長男として現在の東京・西新宿で生まれました。

もともと山が好きだったという村山少年は、東京高等師範学校(現・筑波大学付属小学校)から、同中学校(現・筑波大学付属中・高等学校)に進学。

同校では尊敬する地理の山本幸雄先生が部長だったことから山岳部に入部。

またイギリス人英語教師オードリーズが元南極探検隊員だったことも、大きな刺激になったそうな。


〝山と温泉があって、封切りの洋画を見られる土地〟という3条件を満たすということで、一浪の末に長野県の松本高校に入学した彼は、登山三昧の高校生活を送ります。

1941年12月、戦況悪化に伴い東京帝国退学を3ヶ月繰り上げて卒業した彼は、予備学生として海軍に入隊。

軍艦 『長門』・航空母艦『瑞鶴』に通信員として乗艦するも、幸運にも戦闘に巻き込まれることなく内地勤務となり、終戦を迎えました。

戦後は日本鉱業に就職した後、繊維商社・市田に転職したものの、山の世界が彼を放っては起きませんでした。

日本山岳会の会長ら重鎮が、彼をマナスル登山隊に参加させるよう、勤務先の社長に要請してきたのです。

そして1953年、第1・2次マナスル登山隊の先発隊メンバーとして参加。


しかし残念ながらシェルパとのトラブル等で登頂を果たせず1955年に帰国した彼に、今度は南極観測隊への参加の打診が。

話を持ち込んできたのは、当時国家的プロジェクトとして立ち上がった第一次南極観測隊の副隊長に就任した、西堀栄三郎氏でした。


村山氏のために横浜国立大学職員のポストも用意した西堀氏の誘いは断れず、彼は1956年の第一次南極観測隊に設営担当として参加。

以後翌年の第二次観測隊、そして更に翌年の越冬隊にも副隊長として加わった彼は、あのタロ・ジロの発見にも立ち会っています。


そして数年のブランク後、1965年の第7次観測隊の隊長を務めた彼は、1968(昭和43)年の第9次観測隊でも隊長を務め、同年12月19日に11人の越冬隊員と共に雪上車に乗って南極点に到達したのです。


       

        南極点到達後、昭和基地に帰還した村山隊長(右端)


その後も1974年の第15次越冬隊でも隊長を務め、1983年に公開された映画『南極物語』を監修。

国立極地研究所を退官した後も極地通いを続け、1988年にはチャーター機で北極点に降り立ち、南極点と北極点に到達した最初の日本人となりました。


また村山氏は2003年に老朽化した観測船『しらせ』の後継船の予算化が厳しくなると、観測隊OBや著名人に声をかけて『南極観測の将来を考える会』を結成して観測継続を訴えるなど、まさに極地に人生を捧げ、2006年11月5日に88歳でこの世を去りました。

極地に興味のある方は、村山氏の自著をおススメします。


 
『地の果てに挑む マナスル・南極・北極』 

                          (東京新聞出版局・刊)


         

温暖化で氷が溶ける・・・という話題だけでなく、資源が眠る大陸として注文される南極に、私たちは関心を持つべきかもしれません。

きっと村山氏も、それを願っていることでしょう。
扇子


              人気ブログランキング

スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック