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鬼監督

嘗てはどのスポーツ種目にも〝鬼〟と呼ばれる指導者がいたものですが、おそらくその元祖はこの方でしょう。


 大松 博文 監督


今日は、〝東洋の魔女〟 と呼ばれた全日本(というかニチボー貝塚)チームを率い、1964年の東京五輪・女子バレーボールで見事金メダルを獲得した、この名監督の命日・没後40周年にあたります。


       


大松氏は、1921(大正10)年に香川県で生まれました。

関西学院大学を卒業後、ニチボー(現・ユニチカ)に入社したものの、1941年に陸軍に召集され支那や南方戦線を転戦。 

インパール作戦に従軍しながらも、数少ない生還者として復員。

 
※インパール作戦に関する過去記事は、こちら。(↓)



この時に中隊指揮官を務めた経験が、彼の性格や考え方を大きく変えたのだそうな。


1954年にニチボー貝塚女子バレーボールチームの監督に就任。


1日8時間以上という、女性虐待とまで言われる程の凄まじい猛練習を選手に課し、4年後には日本四大タイトルを全て制覇。


オリンピック前の国際大会でもヨーロッパ遠征で22戦全勝するなど無敵を誇り、あの有名な〝回転レシーブ〟を武器に東京五輪でもニチボー貝塚を主体とした全日本代表チームが期待どおりの金メダルを獲得したのです。


今でもスポーツ中継の最高視聴率 ・ 66.8%を叩き出したソ連との決勝戦・・・相手選手のオーバーネットで金メダルを手にした瞬間、コート内で涙ながらに喜ぶ選手たちを静かに微笑みながら見つめる大松氏の姿が印象的でした。 


                  


「金メダルを獲る!」、「おれについてこい!」 という言葉だけで、果たして選手たちは猛練習についていくのだろうか?


そんな疑問を感じてしまいますが・・・実は大松監督、オリンピック前の合宿中に最愛の母親を亡くしたにもかかわらず、葬儀に参列せずコートに立ったのだとか。 


それを知った選手たちは、


「母親を亡くしても、私たちのために練習をしてくれた。

その恩は金メダルで返すしかない。」


と心に誓ったのだそうです。


後年、金メダリストたちに当時の大松監督をどう思っていたか聞くと、「厳しい」・「辛かった」 という人はおらず、「先生はカッコ良かった」・「結婚するんだったら先生のような人がいい。」 という言葉が異口同音に出たとか。


やみくもに猛練習を課したのではなく、実際には選手の健康状態を木目細かくチェックしながら指導していたという大松監督・・・ただの鬼はなく、〝仏心を持った鬼〟だったのでしょう。


一時期参議院議員も務めたものの、その前後で周恩来に招かれ代表チームを指導したり、イトーヨーカ堂のバレーボール部の創設に関わるなど、生涯の殆どをバレーボールに捧げた大松氏が心筋梗塞で突然この世を去ったのは、1978(昭和53)年11月24日・・・まだ57歳の若さでした。


今やムリヘンにゲンコツの相撲界でも、師匠が弟子に気を使う時代。


大松氏のような〝愛あるスパルタ鬼監督〟は、もはや出現しないのでしょうか?


そんなことを思いつつ、国際バレーボール連盟(FIVB)から女子部門の 『20世紀の最優秀賞』 に選ばれた〝東洋の魔女〟を育て上げ、自らも女子最優秀監督特別賞に選出された〝鬼の大松〟のご冥福を、日本バレー復活を願いつつお祈り致します。笑3


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