FC2ブログ
坊 や

「歳はとっても〝ボウヤ〟です。」

これを聞いたことのある方は、おそらく私を含め50歳代以上の方だけでしょうネ。

今日は、このキャッチフレーズ(?)で長らく活躍したコメディアン、

 坊屋 三郎 さん


の命日にあたります。


坊屋(本名:柴田俊英)さんは、1910(明治43)年に北海道・夕張で生まれました。

生後数ヶ月でお寺に養子に出され、お寺を継ぐべく日本大学・宗教学部に進学。

(もしかしたら、芸名はお坊さんから取ったのかも?)

しかし生来から音楽の道に進みたかった坊屋さんは同大の夜間部芸術学科(現在の日大藝術学部)に転学し、声楽やダンスを学びます。


卒業後入社した吉本興業が1935(昭和10)年に東京・浅草六区に浅草花月劇場をオープンすると、川田晴久さん、益田喜頓さん、それに実弟の芝利英と4人で『(第1次)あきれたぼういず』を結成。

タキシード姿でギター・ウクレレを手に浪花節からジャズ・オペラまで演奏しつつギャグを連発、〝日本初の冗談音楽〟として大人気を博しました。


日劇での公演では、観客の列が建物を3周以上したとか。


1939年に新興キネマが吉本興業の社員を大量に引き抜いた際、グループの中でただ1人吉本興業に残った川田さんの代わりに山茶花究さんを加えて『第2次あきれたぼういず』を結成。

レコード会社もテイチクに移籍し、ヒット曲を連発。


          

しかし時代は太平洋戦争へと突入・・・ジャズは敵性音楽として演奏禁止。

グループ名も 『新興快速舞隊』 といういかつい名前に変えざるをえず、メンバーも応召されるなどしたため1943年に活動を休止。

戦後再結成したものの、グループは1951(昭和26)年に解散。

坊屋さんは俳優として映画界入りすると、コメディーから『忠臣蔵』などのシリアスな作品まで数多くの作品に出演。


1980年以降は大林宣彦監督作品常連として知られました。


一方でお茶漬け屋を手掛けたものの失敗し、その借金返済のために全国のキャバレー回りもしたそうですが・・・。

戦前・戦後芸能界で長らく活躍し、ボーイズ・バラエティー協会の会長も務めた坊屋さんが92歳で急逝されたのは、今から13年前の今日・2002年5月25日。


その前日、喜劇界の盟友ともいえる清川虹子さんの通夜に参列する予定だったそうですが、その直前にバス停で突然倒れ、病院に搬送されたものの息を吹き返さなかったそうです

さて私にとって坊屋さんといえば、何と言っても1974(昭和49)年に放映された松下電器(現・パナソニック)のテレビCM。

身体の大きな外国人男性と、商品のテレビを挟んで交わすヘンテコな会話は、強烈なインパクトがありました。


それではその懐かCMをご覧いただきながら、昭和を代表するマルチ・タレントのご冥福をお祈り致します。

これ、今時の若者にもウケると思うのですが・・・いかがでしょ?笑2





             ペタしてね

スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック