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感 涙

今月8日、論語の音読が子供の学力向上に有効だ・・・という記事を掲載しました。



しかし当然のことながら、論語は大人にとってもためになる古典であることは言うまでもありません。

かの安岡正篤先生も 『論語に学ぶ』 などの著書や講演で折に触れて論語について語られておられます。
(お孫さんの安岡定子さんも論語に関する著書を何冊も出版し、論語塾を主宰されています。)

今日は、安岡先生の著書


 『論語の活学』 (ブレジデント社・刊)


       

から、特に私が感じ入った部分を抜粋・編集にてご紹介致します。


           ◆     ◆     ◆     ◆


昔の日本人はよく泣いております。


私もいろいろ明治に関する文献を点検したのでありますが、そのうちに一つ気がついたことは、当代一流の明治の人たちは、皆よく泣いておるということです。


橋本左内の 『啓発録』 を読むと、これは左内が14歳の時に書いた物でありますが、夜、四書を勉強して床に入り、どうして自分はこんなに勉強ができないのだろう、と夜具に顔を埋めて泣いたと告白しておる。


日清・日露戦争当時の軍人や大臣といった人たちでもそうです。 


日本海々戦に勝ったといっては泣き、つらい任務を引き受けてくれるといっては泣き、それも相抱いてオイオイ泣いておる。


例えば日露戦争の時、国際借款のために代表をアメリカやイギリス等の諸国へ派遣することになり、その白羽の矢が後に二・二六事件で射殺された高橋是清蔵相 (※当時は日銀副総裁) に立てられた。


そして築地の料亭に(首相の)桂さんをはじめ重臣たちが集まって、高橋さんに命じたのですが、高橋さんは 「とても自分にはその能力も自信もない」 と言って百方辞退する。 


けれども聞き入れてくれない。 


とうとう引き受けざるを得なくなって、「承知しました」 ということになった時、桂さん以下皆 「ああ、よかった、引き受けてくれた」 と、やっぱり相抱いて泣いておる。


その時銚子を持って部屋に入ろうとした15,6の女中がおったが、あまり皆が泣いておるのでびっくりして引っ込んでしまった。


この女中が後に料亭の女将になり、私が知った時はもう相当な年齢になっておられたが、その時の有様を私も直接本人から聞いたことがある。


        安岡正篤


とにかく昔はよく泣いておる。 


天下国家を論じては泣き、書を読んでは泣いておる。 


ところが後世になるほど泣かなくなってしまった。 


そういう感激性がなくなってしまった。


これは一面から言えば、民族精神の悲しむべき衰退に他ならない。


卑屈な利害・打算・私利・私欲にのみ走って、最も人間らしい天下・国家、仁義・道徳、情緒・情操、感激性、溢れる行動、そういったものを失った民族は衰退しておる証拠である。


衰退は最悪の場合には滅亡に通じる。


           ◆     ◆     ◆     ◆


う~ん・・・如何でしょうか?


あまり論語と関係ない内容ですが、私自身映画などを見てもらい泣きをすることはあっても、〝感涙〟や〝号泣〟とは、最近とんとご縁がないような気がします。


言われてみれば若かりし頃、野球等のスポーツで試合に負けた時、いや勝った時もボロボロに泣いたことが何回もありましたが、それは自分自身が本気で一生懸命に取り組んでいたからなのでしょう。


久しくそういう涙から遠ざかっているということは、それだけ本気で生きていない証拠なのかもしれません。


本気で泣ける一生懸命の自分・・・取り戻さねばなりません。


あっ、そうそう。 同書には、こんなことも書かれていましたョ。


論語には 「過ぎたるは及ばざるが如し」 という言葉がある。 


実に面白い、また味わい深い言葉であります。


はっきりとは書かれておりませんが、どちらかと言うと、「過ぎたるよりは及ばざる方が良い」という意味が言外にあるわけです。


   ~ (中略) ~


家庭においても同じことで、亭主関白というのはあまりよくない。 


といってカカア天下になってはいけないが、亭主が 「一応」 女房の尻に敷かれておるのがよい。


さすがは安岡先生、おっしゃる通りでございます!


もっとも我が家の場合〝一応〟という文字は不要な状態ですけど。あせあせ


 


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