FC2ブログ
ダンディ


中高年の男性でオシャレに興味ある人なら、この方を知らないはずはないでしょう。


今日は、一世を風靡した“VAN”ブランドの創設者にして我が国の男性ファッションのリーダー的存在だった

 石津 謙介 

の命日・没後10周年にあたります。


石津氏は1911(明治44)年に岡山県岡山市に5人兄弟の次男として生まれました。

紙問屋を営む父は仕事一筋の真面目人間でしたが母親が非常にオシャレだったそうで、彼はその血を色濃く受け継ぎ自分流に学生服を改造(?)するなど、子供の頃から着る服に拘っていたとか。


稼業を継ぐという条件で明治大学に進学した石津氏は、在学中オートバイ・クラブや自動車部などを創部したり夏は水上スキーに冬はスキーに熱中。

更に週に5回はダンスホール通いと、潤沢な仕送りを受けて流行の最先端を行く都会生活を満喫しました。

当然のことながら女性との交際も早く、彼は帰省したと際に中学生時代に知り合った笠井昌子さんを東京に駆け落ち同然に連れて行き同棲を開始。

卒業後約束通り岡山に帰って稼業を注ぐと同時に彼女と結婚しました。


しかし日華事変が起こり戦争へと突き進む日本では統制品となった紙の問屋稼業は続けることが出来ず、彼は親友の兄が経営する用品店・大川洋行を頼り、一家そろって中国・天津に移住。

ここでファッションの世界に本格的に足を踏み入れた彼は、敗戦の翌年故郷・岡山に戻ります。

そして大川洋行の取引先だったレナウンに誘われて入社。

大阪・神戸で勤務した後、そこで知り合い生涯のパートナーとなる高木一雄氏と組んで1951(昭和26)年に脱サラし、『石津商店』を設立。

1954(昭和29)年に、アメリカナイズされた社名 『ヴァンジャケット』 に変更すると、その3年後にアメリカ東海岸名門大学グループ〝アイビーリーグ〟に因んだ〝アイビー・ファッション〟をVANブランドとして売り出し、大人気を博しました。。

        

3つボタンのブレザー、ボタンダウン・シャツ
とコットン・パンツのコーディネートは一世を風靡。

このアイビー・ルックでキメた若者が銀座のみゆき通りを埋め尽くす〝みゆき族〟なんてものまで登場するほど。

(※ただし私自身は体型の観点から、全くアイビー・ファッションとは無縁でしたが・・・。)あせあせ

男性ファッション界の旗手となった石津氏は、1964年・東京五輪で日本選手団が着用した真っ赤なブレザーや、国鉄・警視庁・日本航空などのユニホーム・デザインも手掛けました。

その後も男性ファッション雑誌の創刊やアメリカンウットボールのチームも創設するなど、常に時代の先端を走り続けた石津氏でしたが、会社が急拡大すると従業員の組合問題などが起きるようになり売上も急落、徐々に会社経営の意欲を失くしていきます。

そして1978(昭和53)年4月、約400億円の負債を抱えて会社は倒産。
後に会社は復活を果たすものの、石津氏が関わることはありませんでした。

フリーの身となった彼は、その後もモスクワ五輪の日本選手団ユニホームのデザインを手掛けたり、衣料だけでなく食・住にも関わる新しいライフ・スタイルを提案し続けました。

そして2005(平成17)年5月24日、肺炎により93歳で天に召されたのです。

病院で寝たきりになってもパジャマを着ることを拒絶し、そのデザインが大のお気に入りだった三宅一生氏からプレゼントされたシャツを着て息を引き取ったことは有名。

その石津氏は、デザイン以外にも日本に大きな影響を残しました。

よく 「時と場所と場合」 をわきまえろ、という場合に〝Time )・Place )・Occasion )〟という言葉を使いますが、これを世に定着させたのは石津氏なのだそうな。

他にも私たちが良く使う〝カジュアル〟・〝トレーナー〟・〝キャンペーン〟、それに最近ビールなどによく使われている〝プレミアム〟も、彼がVAN戦略の中で使い始めたのが元祖

ファッションだけでなくライフスタイルや言葉まで流行の最先端を走り続けた〝Mr.ダンディー〟のご冥福を、あらためてお祈り致します。笑3




スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック