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激 闘

野球好きの私にとって、忘れられないプロ野球の試合はいくつもありますが、ことパ・リーグに関しては〝あの試合〟に尽きます。


中高年世代のプロ野球ファンならば、〝10.19〟と聞いただけで、〝あの試合〟を思い起こされる方が多いはず。


それは、今からちょうど30年前の今日・1988(昭和63)年10月19日・・・昭和時代最後の名勝負といわれた、


 ロッテ-近鉄


の〝伝説のダブルヘッダー〟。


この年から仰木彬氏を監督に迎えた近鉄は、シーズン途中に中日から金銭トレードで獲得したブライアントの大活躍などにより2位で首位西武を追走。


一時8ゲーム差をつけられながらもジリジリと追い詰め、遂にこの日行われる対ロッテ戦のダブルヘッダーに連勝すれば奇跡の逆転優勝・・・というところまで漕ぎ着けたのです。


それまで12日で13連戦をこなしてきた近鉄ナインの疲労はピークに達していましたが、第1試合から壮絶な戦いが繰り広げられました。


ダブルヘッダーだったため、第1試合は延長なしという規定で始まったこのゲーム・・・8回に追いつき、9回に1点勝ち越した近鉄は、しかしその裏に2死満塁という大ピンチ。


ここで1点取られた時点で優勝を逃すという土壇場で、阿波野投手はバッターを3球三振に仕留め、第2試合に望みを繋ぎます。

       


常に閑古鳥の鳴いていた川崎球場は、この日に限って大入り満員・・・第1試合途中から、異様な雰囲気に包まれる中、運命の第2試合が午後6時44分にプレーボール。


2回に1点を先制されたものの6回に追いついて更に7回に2点勝ち越した近鉄に対し、ロッテも粘ってその裏にすぐさま追いつき、更に8回にも両軍1点ずつ取って4-4の同点・・・という、まさに息詰まる攻防。


但しこの試合は、当時の規定によって開始から4時間経過した時点で次の回に入れないことになっていました。


9回に判定を巡ってロッテ・有藤監督が9分間の抗議を行い、球場内はますます殺気だった雰囲気となる中、4-4の同点のまま試合は延長戦に突入。


そして時間との兼ね合いで近鉄最後の攻撃となる10回表。


先頭ランナーを出したものの、ダブルブレーに討ち取られた時点で試合時間は3時間57分・・・近鉄は万事休しました。

    


優勝を逃しても10回裏の守備につかなければならなかった近鉄ナイン・ベンチの選手たちの心中は、いかばかりだったか・・・。


当時殆ど人気のなかったパ・リーグの試合を、何故これ程はっきりと記憶しているかというと・・・この日テレビ朝日が全国の野球ファンからの要望に応え、通常の番組を延期して急遽午後9時から第2試合を中継したから。


しかも民放でありながら、「スポンサーのご好意により」 CMをカットするという異例の放送でした。 (スポンサーがどこだったのかは記憶にありませんが、おそらくその後の売り上げは伸びたでしょうネ。)


当時人気だった報道番組 『ニュースステーション』 もこの野球中継に振り替えられ、おかげでゲーム終盤の行き詰まる攻防戦を全国の野球ファンが楽しむことができたのです。


この時の視聴率は関東地区で30.9%という驚異的な数字を記録。


皮肉にも、18年に渡って放送されたニュースステーションの歴代最高視聴率だったとか。


この死闘が放映されたことで、私を含めた多くの野球ファンがパ・リーグ(の試合)に注目するようになったことが、現在のパ・リーグ人気の導火線になったといえましょう。


さて、我が家の本棚に一冊の文庫本があります。


 『1998年 10・19の真実』 (主婦の友社・刊)


       10.19


著者は、近鉄ファンが高じて近鉄百貨店に入社したという、元・東京近鉄応援団長の佐野正幸さん。


テレビで観戦された方がこれを読めば、あの死闘を思い起こせるばかりか、TV中継からは分かり得なかった川崎球場の混乱ぶりや観客席の様子などを、まるでその場にいたかのように体感できることでしょう。

プロ野球を愛する方には、是非ご一読をお勧めします。


優勝のかかった最終戦・ダブルヘッダー・シーソーゲーム・迫りくる制限時間との戦い・・・様々な要因が重なったとはいえ、やはり好勝負はファンの心を惹きつけますネ。

以下に、この〝伝説のダブルヘッダー〟をまとめた2本の動画をご紹介します。


壮絶なる激闘を、是非ご覧ください。






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