FC2ブログ
砂 漠

多くの方は、彼の存在を映画 『アラビアのロレンス』 で知ったのではないでしょうか?

1962年に公開され作品賞など7部門でアカデミー賞を獲得したこの名作で、名優ヒーター・オトゥールが演じた主役にして実在の人物だったのが


 トーマス・エドワード・ロレンス

   Thomas Edward Lawrence


今日は、〝砂漠のヒーロー〟とも言うべきこの数奇な人生を歩んだイギリス人の命日・没後80周年にあたります。


ロレンスは1998年、ウェールズのトレマドック生まれ。

1907年にオックスフォード大学ジーザス・カレッジに入学した彼は、1,2年生の夏にフランスを自転車旅行し、更に3年生の時にはレバノンを訪れ1,600kmを徒歩で移動して十字軍の遺跡を調査。

その調査結果をまとめた卒業論文は高い評価を得たといいます。


卒業後アラビア語習得のためレバノンのビブロスに滞在した彼は、1911年に恩師ホガース博士が率いる大英博物館の調査隊に加わりカメケミシュでの発掘に従事。

その傍らイギリス陸軍の依頼によりネゲヴ砂漠を調査し地図を作成しました。


1914年に第一次世界大戦が勃発すると、イギリスは敵国ドイツと手を結ぶオスマン帝国に揺さぶりをかけるべく、アラブ人による蜂起を画策。

その扇動役として白羽の矢を立てたのが、英陸軍の臨時中尉としてカイロの陸軍情報部に配属され地図の作成に従事すると共に語学力を生かして連絡係を務めていた、アラビアの事情に詳しいロレンスでした。

        


外務省アラブ局に転属し大尉に昇進した彼は、情報将校としてアラブの王朝一族のハーシム家当主フサイン・イブン・アリーの三男ファイサルと接触。

ロレンスはファイサル傘下の部隊に目をつけ、彼らに対オスマン帝国軍のゲリラ戦を仕掛けさせることに成功。

彼ら2人が指揮するアラブ人ゲリラ部隊は各地で勝利を収め、イギリス軍の勝利に貢献したロレンスは中佐へと昇進。

しかしアラブ人は自らの土地からオスマン帝国を追い出すことには成功したものの、当初独立を支援すると言っていたイギリスがフランス・ロシアと3国で分割統治するサイクス・ピコ協定という密約を交わしていたために、アラブ統一国の建国は実現せず。


結局中東はイギリス・フランスによって分割統治されることとなり、また当時の曖昧かつ矛盾した協定が他に2つも存在したことが、現在に至るまでの中東紛争の原因になったといわれています。

アラブの独立を支援したロレンスの願いは十分に叶えられることなく、失意のうちにアラビアの地を離れたロレンスは、その後空軍に入隊。

1935年に除隊するまでイギリス領インド帝国やイギリス国内で勤務したのですが・・・除隊から僅か2ヶ月後の1935年5月13日、オートバイを運転中自転車に乗った少年を避けようとして転倒事故を起こし、意識不明に。

     

            バイクにまたがるロレンス

それから6日後の5月19日、46歳の生涯に幕を下ろしました。

皮肉にもこの有名人のバイク事故がきっかけとなって、以後オートバイ運転時のヘルメット着用が重要視されるようになったとか。

彼の活躍と苦悩については、冒頭にご紹介した映画 『アラビアのロレンス』 を観るか、彼の著書・ 『砂漠の反乱』 を読むと良く分かります。



    『アラビアのロレンス』      『砂漠の反乱』(中公文庫・刊)

映画はイギリスの制作ゆえ彼をヒーローにしてアラブ人を粗暴に描いていることが鼻につくものの、ロレンスの自著・『知恵の七柱』 をほぼ忠実に再現しています。

(『砂漠の反乱』は、その膨大な量の原作を自ら再編集・簡略化したもの。)

ただし映画には、大きな相違点がひとつ。

それは主役を演じたピーター・オトゥールが身長188cmだったのに対し、ロレンス本人は165cmと小柄だったこと。あせあせ

今宵はこの大作を久しぶりに鑑賞しつつ、アラビアと砂漠を愛しながら母国イギリスとアラブ人の狭間に立って苦悩した、ロレンスの冥福を祈りたいと思います。笑3

スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する