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為五郎

タイトルだけでピンときた方は、おそらく私より年上でしょうネ。あせあせ

今日は昭和世代の方には懐かしいクレージーキャッツのリーダーにしてドリフターズのメンバー個々の名付け親だった、


 ハナ 肇 さん

の命日・没後25周年にあたります。

       

ハナ (本名:野々山 定夫) さんは、1930(昭和5)年に水道工事業を営む父親の子として現在の東京都豊島区長崎町で生まれました。

地元・長崎第二国民学校卒業後、家業を継ぐため工学院土木科に通いましたが、1945年に空襲で学校が焼失してしまい、中退。

おまけに終戦直後に急性肺炎を患い、3ヶ月間もの入院生活を送る羽目に。

退院後の1946年から何故か刀根勝美楽団などいくつかのバンドでドラムを叩くようになり、作曲家でジャズピアニストだった松井八郎さんに目をかけられ、またこの頃植木等さんと知り合いに。


そして1955年に自らがリーダーとなって『ハナ肇とキューバン・キャッツ』を結成。


2年後に植木等さんや谷啓さんが加わり、『ハナ肇とクレージーキャッツ』と改称しました。

※ハナ肇という芸名の由来は、興奮すると鼻の穴が膨らむことと、敬愛するジャズピアニスト・和田肇さんの名前から。

またクレージーに変えたのは、進駐軍のキャンプ回りをしていた際、演奏中に洗面器で頭を叩くギャグが大ウケし、
You, crazy” と言われたことから。


        

 渡辺プロダクション(ナベプロ)創業者・渡辺晋社長がバンド結成資金を提供したことから同プロに所属したおかげで、『シャボン玉ホリデー』などのテレビ番組に数多く出演し、知名度は急上昇。

ヒッピー姿の彼が番組内で叫んだ 「アッと驚くタメゴロー」 は、当時の流行語になりました。(↓)



メンバー全員の楽器演奏能力が高かったにも拘わらず、世間ではコメディーバンドとして売れるという最初の事例になり、また植木さんの知名度が上がって彼の名を冠した映画がヒットを連発。

こうなると、とかくグループ内に不協和音が出がちですが、ハナさんの親分肌で人情味があり、かつワンマンとも言われた強いリーダーシップのおかげでグループのまとまりは保たれたとか。

それでも1971年に石橋エータローさんが脱退した前後からメンバーがピンで活動するようになり、クレイジーキャッツは実質解散状態に。

私自身、ハナさんをテレビで見かけるのは、音楽番組ではなくドラマや映画の出演が殆ど。


つまりハナさん=俳優というイメージでしたし、非常に演技が上手かった記憶があります。

実際、市川崑・山田洋二ら大物監督が彼を何回も起用しましたし・・・。

バンドのリーダー・ドラマー・コメディアンに俳優・・・ハナさんこそ、マルチタレントと呼ぶに相応しいと言えましょう。


        

                映画 『人間の証明』 より


晩年にはナベプロの社長になるという噂もあったそうですが、そんな彼を病魔が襲います。

紫綬褒章を授与された2年後の1993(平成5)年9月10日・・・肝臓癌により、63歳でこの世を去ってしまいました。

本人は最後まで自分が癌だとは知らなかったそうですが、まだまだ活躍できる年齢だっただけに残念。

亡くなる直前までドラムの修練を続けたという生粋のミュージシャンのご冥福を、あらためてお祈り致します。


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