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皆我師

今日は、日本を代表する歴史小説作家


 吉川 英治 さん


の命日にあたります。


『新書太閤記』 や 『新・平家物語』 など、小・中学生の頃に読んだ記憶がありますが、現在の若い方には、コミック 『バガボンド』 の原作者と言った方が通りがいいのかもしれませんネ。


        


吉川(本名:英次)さんは1892年の横浜生まれ。


幼少の頃から文才があったようで、10歳の時から雑誌に投稿をしていたそうですが、父親の再婚や事業でのトラブル等々が遠因となり、小学校を中退して職を転々としたそうです。


18歳の時に上京、投稿した小説が講談社の懸賞に入選。 


30歳になった頃に東京毎夕新聞社に入社し、次第にその文筆を認められるように。


関東大震災で同社が解散したことを契機に作家として一本立ちした彼は、その後数々の名作・大作を発表。


1960年には文化勲章を受章するなど、我が国を代表する作家としてその地位を確立しましたが、その2年後の1962年9月7日・・・肺がんにより70歳でこの世を去りました。


大変な勉強家で博学だった吉川さんですが、


〝我以外皆我師〟(会う人、出会うもの、すべて我が師なり。)


という名言を残された如く、常に謙虚な姿勢を崩さなかったことは有名です。


その一方で、彼は競走馬の馬主としても有名だったとか。

1939年に親友でやはり馬主だった菊池寛さんに勧められて馬主になり、戦後は数々の有力馬を所有。

 ※菊池寛さんに関する過去記事は、こちら。(↓)


特にケゴンは1955年皐月賞に優勝したそうですから、キャリアはかなりのもの。


そんな吉川さんの作品・・・現在我が家には、小学6年生の頃に読んだ本が3冊残っています。(


       


言わずと知れた、名作 『宮本武蔵』。


何故か吉川英治全集から、オヤジがこの3冊だけ抜き出して買ってきてくれたんですが、多分 「しっかりした本で読ませたい」 と思って、こんな箱入りの上等な装丁本にしてくれたんでしょうネ。笑2


この小説の最後の一節・・・背伸び(?)して読んでいた子供の私には、正直その意味がよく分かりませんでした。


『時は経ても、感情の波長はつぎつぎにうねってゆく。


武蔵が生きている間は、なお快しとしない人々が、その折の彼の行動を批判してすぐこう言った。


「あの折は、帰りの逃げ途も怖いし、武蔵にせよ、だいぶ狼狽しておったさ。


何となれば、巌流に止刃(とどめ)を刺すのを忘れて行ったのを見てもわかるではないか」・・・と。


波騒は世の常である。


波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い、雑魚は躍る。

けれど、誰が知ろう、百尺下の水の心を。 水のふかさを。』


最後の2行・・・多少人生経験を積んだ今なら、その〝心〟が分かるような気がします。


この大作、再度読み直すべきかもしれません。笑3


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