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難 所

江戸時代以降、防衛上の観点から江戸の街を分断して流れる隅田川に橋は殆ど架けられず、船で行き交う〝渡し〟が人々の交通を担っていました。

最盛期の明治時代には20以上の渡しがあったそうですが、関東大震災以降のモータリゼーションの隆興も相まって、震災復興事業に伴い架橋が進行。

1940(昭和15)年には万国博覧会開催(※戦局悪化により中止)に合わせて勝鬨橋が架けられました。

※勝鬨橋に関する過去記事は、こちら。(↓)



その勝鬨橋の上流にあったのが、明石町と佃島を結ぶ〝佃の渡し〟だったのですが、ここにも1961(昭和36)年に橋のを架ける計画が持ち上がりました。

       
                佃の渡し(1962年)


3年後に開催される東京オリンピックの都市整備計画の一環として、勝鬨橋や更に上流に架かる永代橋の交通渋滞の解消を目的として


 佃 大 橋


が竣工したのが、今から54年前の今日・1964(昭和39)年8月27日・・・まさに東京オリンピック開幕1ヶ月半前のことでした。

    

と同時に、約320年の歴史を誇った佃の渡しは、ひっそりとその姿を消したのです。


    
           矢印が佃大橋 その左下に勝鬨橋

この全長476.3m、幅25.2mと一見立派な橋・・・損保入社時に銀座営業所に配属された私の担当エリアが築地・月島・佃・勝鬨でしたので、勝鬨橋共々数え切れない程渡ったものです。

しかし勝鬨橋と比べると、アーチが一切ない非常にすっきりとした構造ですょネ。

どうも東京五輪に間に合わせるため、デザインを極力シンプルにして工期を縮めた模様。あせあせ

ちょっと物足りない気もしますが、これからはデザインよりも耐震性の方が問題ですから、却ってこの方が良かったのかも。

ところでこの佃大橋、以前は東京マラソンのコースになっていて、結構キツい傾斜があるため難所として有名だったのだそうな。

私はクルマでしか通ったことがないのでそういう傾斜は気にならなかったのですが、実際マラソンに参加した方がいらっしゃれば、ぜひその感想をお聞かせください。

もしかしてコースが変更になったのは、この佃大橋のせい?うー


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