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苦 悩

今日は、中高年世代の方には懐かしい二枚目俳優、

 竹脇 無我 さん

の命日・没後7周年にあたります。

         


無我(※本名)さんは、1944(昭和19)年に千葉県我孫子市で生まれました。

父・昌作さんは当初三男の彼に〝宇宙〟という名をつけようとしたそうですが、母親の反対で〝無我〟と命名されたとか。

まぁどちらにしても、当時としては珍名さんの部類ですが・・・。

父親がNHKのアナウンサーだったせいか、竹脇さんは美男子の上に大変な美声の持ち主で、女性には大変人気のあった俳優さんでしたが、私生活や内面に苦悩を抱えた方でした。

父親が仕事に対する不安から鬱病に罹り、自殺。


またラジオ関東のアナウンサーであった長男が失明で職を失い、更に次兄が脳腫瘍のため18歳の若さで他界するという過酷な家庭環境のため、青山学院大学を卒業した無我さんは家計を支えるため、俳優になったといいます。


1960(昭和35)年に松竹映画 『しかも彼等は行く』 でデビューすると、5年後には 『アンコ椿は恋の花』 で初主演を務め、以降数々の映画・TVドラマで活躍。

私にとって最も印象に残る竹脇さんの出演作品は、1970年に放映されたTVドラマ 『姿三四郎』。

池に放り込まれて杭に必死にしがみつく彼の姿、何故か今でも鮮烈に記憶しています。

このドラマを観て触発され柔道を始めたくらい、影響を受けました。

(もっとも、野球をやる時間が削られるのがイヤで数ヶ月で止めちゃいましたが・・・。)あせあせ

         

また1970年から放映が開始されたTVドラマ 『大岡越前』 での小石川養生所の医師・榊原伊織も、彼のイメージにびったりの役柄だったと思います。

しかしあまりに二枚目役ばかりだったことで、彼自身は自分の内面とのギャップに苦しむように。

そして 『大岡越前』 を始め数多くの作品で共演した親友・松山英太郎さんが1991年に48歳の若さで病没したことにショックを受け、49歳の時に父親と同じく鬱病を発症してしまいます。

自殺の衝動を飲酒で紛らわせたものの、セリフが憶えられなくなりテープで吹き替えなければならない程に症状が悪化。

それでも父親とNHKアナウンサーの同期だった森繁久弥さんらの励ましを受けて治療に専念し、一度は復帰を果たして闘病生活を語るまでに復調。

しかしその森繁さんが2009年に亡くなったことにまたしてもショックを受け、再びアルコールに逃げて症状がぶり返してしまいました。

そして2011年8月21日・・・自宅で意識不明で倒れているところを発見され病院に搬送されたものの、小脳出血により67歳でこの世を去りました。

別れた前妻と2人のお嬢さん、そして内縁の妻に看取られて旅立てたことが、せめてもの救いだったかもしれません。

役柄と内面のギャップに苦しむ・・・私にはよく分かりませんが、二枚目には二枚目の悩みがあるんでしょうネ。

外面的にややナイーブに見えた通り、繊細な神経の持ち主だったことが伺えます。

今はそんな苦悩から解き放たれ、〝オヤジ〟と慕った森繁さんや親友・松山さんと天国で談笑していることを信じつつ、あらためてご冥福をお祈り致します。笑3


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