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隠し子

今日は、1976~81年にかけ、毛沢東の後任として中国共産党の主席を務めた


 華 国 鋒


の命日・没後10周年にあたります。


       


1921年に山西省交城県で生まれた彼は、1938年に共産党入党。

1940年から同県の抗日連合会主任を、そして1949年からは湖南省で共産党書記を務めます。


その後、文化大革命時には湖南省の第一書記となり、毛沢東に忠実な部下として認められ、彼の右腕として公安部長から副首相へと順調な昇進を遂げました。


しかし権力闘争渦巻く同党の中にあって、真面目だけが取り柄だったという彼が何故順調に出世コースを歩めたのか?


実は彼・・・毛沢東が湖南省で農民運動を展開していた時に 「姚」 という女性に産ませた隠し子だった、という説があるのです。驚き顔 ヘェ~


(彼自身がその公認を政治局に求めたこともあったとか。 見比べてみると、確かによく似ていますネ。)


    


1976年9月、毛沢東の死を受けて中国共産党及び中央軍事委員会の主席に就任。 


最高権力を手にすると、翌月にはそれまで支持していたはずの毛沢東の妻・江青ら〝四人組〟 を逮捕して、文化大革命を事実上終結させます。


1978年には日中平和友好条約を締結、その2年後には中華人民共和国トップとして初めて日本を公式訪問したことでも知られています。


しかし常に毛沢東氏の思想を忠実に踏襲し、かつ彼の威光を利用しようとした華氏は、やがて自ら復権させた鄧小平と対立。 


権力闘争の末に破れ、1980年に首相、その翌年に党主席の座を追われます。


2002年に引退するまで党中央委員のポストは与えられていましたが、影響力は完全に抑えられ・・・北京五輪開催中だった2008年8月20日、87歳で病死と発表されました。


それにしても驚くべきは、中国の権力闘争の凄まじさ。


彼が党首席の座を追われたのは59歳の時でしたが、追放した鄧小平はこの時ナント77歳!


       


しかもその後85歳まで党中央軍事委員会主席の座に就き、1989年の天安門事件では武力弾圧を指示しています。


日本ではとっくに引退するのが当然の年齢で、このエネルギッシュな活動ぶり。


何でも食べる支那民族には、〝草食系男子〟なんていないんでしょうネ、きっと。うー


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