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活 弁

現在は、アニメや海外映画などで特定のキャラを受け持つ声優さんが人気を博していますが、無声映画の時代は、あらゆる登場人物やナレーションをたった1人の〝(活動)弁士〟が演じていました。

今日は、おそらく日本で最も有名だった弁士、


 徳川 夢声 さん

の命日にあたります。


       


徳川(本名:福原駿雄[としお])さんは、日清戦争が勃発した1894(明治27)年に島根県益田市に生まれました。

3歳の時に母に捨てられ祖母に育てられたという彼は、子供の頃から話術が達者で、聴いた落語を殆ど記憶していたとか。

15歳の時に同郷の人妻で、後に新劇女優として活躍した伊沢蘭奢と恋愛関係になったという、オマセな彼は、東京府立一中(現・日比谷高校)卒業後一高(現・東大教養学部)を目指すも2度の受験に失敗。

本人は落語家の道を目指そうとしますが親に反対されたため、1913(大正2)年に活動写真の弁士となり、日活第二福宝館で清水霊山に師事し、『福原霊川』 と名乗りました。

20歳で秋田の映画館で主任弁士を務めたのを皮切りに、翌年には赤坂葵館の主任弁士に。

同館の支配人が映画館名の『葵』から『徳川』に、聞き取れないほどの声から『夢声』と芸名を徳川夢声と勝手に変えられた(?)彼は、その後新宿武蔵野館に移籍し、東京を代表する弁士として人気を博しました。 しかし

「誰も日本のことなど知らない外人が演じて作った映画を語る活弁は、ゴマカシではないか?」


と思い悩むようになった彼は、そのストレスでアルコール依存症となり、40歳の時に奥さんを亡くした時も酩酊状態だった程に生活が荒れましたが、ユーモア作家・東健而の未亡人・静枝さんと再婚し、身を持ち直します。

昭和の時代に入ってトーキー映画が登場し弁士の仕事が無くなると、彼は漫談や演劇に転身。

夢諦軒と称して自伝を書く傍ら、1926(昭和元)年に古川ロッパらと珍芸劇団『ナヤマシ会』を、7年後には喜劇団『笑いの大国』の結成に参加し、人気を博します。

他にも杉村春子さんらと『文芸座』の結成に参加して俳優デビューを果したり、俳句会に所属し俳人としても活動。

更に漫談の研究団体『談譚集団』を結成して弟子を育成したり映画にも出演。


また1939(昭和14)年からNHKラジオで始めた吉川英治の小説『宮本武蔵』の朗読は、その独特の間は天下一品と評価され人気を博したり、週刊朝日の対談記事 『問答有用』 は400回にも及び、徳川家康の末裔とも対談したとか。


喋りだけでなく筆も立ったようで、ユーモア小説やエッセイなど多数執筆し、1938・49年には直木賞候補にも。

戦中に東南アジアに慰問に出かけた彼は、戦後はテレビにも進出。


NHKの 『私だけが知っている』 や 『こんにゃく問答』 にレギュラー出演するなど、まさに現在で言う〝マルチ・タレント〟ぶりを発揮・・・活弁士から漫談や朗読、活躍の場も映画館からラジオ、テレビへと見事な転身・活躍ぶりだったと言えましょう。

まさに八面六臂の活躍を続けた彼が脳軟化症と肺炎の併発により71歳でこの世を去ったのは、 1971(昭和46)年8月1日。

最期の言葉は、「おい、いい夫婦だったなぁ」 だったそうです。

そんな粋なセリフを吐いて息を引き取りたいものですが・・・そんな彼が遺した多くの著書の中に、こんな本があります。 その名もズバリ、

 
『 話 術 』 (白揚社・刊)

       


「ハナシは人格の標識」、 「ハナシには、個性が絶対に必要」

等々、彼が弁士時代から培った人を惹きつける話し方の極意・・・私のように司会をやったりセールス・トークが必要な方には、一読の価値があると思います。

それでは、拙ブログ読者の殆どの方がご存知ないであろう、彼の朗読・『宮本武蔵』 をこちらでお聴きください。(


 


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