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ナナサンマル

かつて豊臣秀吉が墨俣城を一夜にして築いた・・・という逸話がありますが、その真偽のほどは分かりません。

しかし近代に於いて、我が国にはそれに匹敵する、いやそれ以上といえる転換事業が一夜というか一瞬にして行われたことがありました。

それは、今からちょうど40年前の今日・・・沖縄県における自動車の対面交通を右側通行から左側通行に変更したこと。

地元では、この混乱をできるだけ抑制しようと、事前に

 730(ナナサンマル)運動

と呼ばれるキャンペーンが行われていました。

        

             キャンペーンのシンボルマーク


戦前の沖縄は本土と同じく左側通行でしたが、沖縄戦でアメリカが占領したことで1945年11月から右側通行に変更。


これは1972年の本土復帰後も続きましたが、国際的な道路交通に関する条約の〝一国一交通制度〟を遵守するため、1975年以降に左側通行への切り替えを実施することに。

ただ海洋博の開催などを優先したため時期はズレ込み、最終的に1975年6月の閣議で、1978年7月30日を以って県内全域を左側通行に戻すことを決定。

沖縄県は、当時人気ボクサーだった具志堅用高選手をCMに起用したり、美人モデルにシンボルマークを染め抜いたタンクトップを着せたポスターを作製するなどして、懸命に県民にアピール。


        


個人的には、このポスターは相当効果的だったと思いますネ。あせあせ


もちろん交通標識などは一晩で交換できるわけはなく、信号や標識・車線レーンのペイントなどは事前に設置してそれをカバーで覆うなどの準備作業が19億円もの費用を投下して行われました。

そして前日の7月29日午後10時から緊急車両を除く全ての自動車を通行止めにして、翌30日午前6時までの僅か8時間で標識のカバーを取り外すなどして切り替え準備を完了。

そしてどうやって左右を切り替えたか・・・は、私がご説明するより、こちらの映像を見ていただいた方がよく分かると思います。

お急ぎの方は、23分過ぎからご覧ください。(↓)




しかしいくら準備万態整えたとは言え、肝心の県民はそう簡単に切り替えられるわけはなし。

私自身、以前渡米した際に現地で運転しましたが、つい左右を間違えそうになってビビッた経験がありますから、当時の県民の混乱ぶりは想像に難くありません。

警視庁はじめ全国から警察官3,000人が沖縄県入りし、沖縄県警1,400人と共に約1ヶ月間交通整理を行いましたが、ドライバーが不慣れのため各地で大渋滞が起き、交通事故も頻発。

プロのドライバーが運転する路線バスが崖下に転落したこともあったとか。

その路線バスが、一番の問題でした。

というのは、自家用車は左右どちらのハンドルでも運転できましたが、路線バスはそれまでの左ハンドル・右ドアでは路線変更に対応できず、右ハンドル・左ドア車に交換しなければなりませんでした。

とはいえ、一斉に車両入替するのはバス会社にとって無理な相談。

ということで、経営者らが県知事や国に陳情し、約155億円以上の国庫補助金や財政投融資を引き出し、当時県内を走るバス1,295台のうち1,019台を右ハンドルの新車、3台を中古で購入し、167台を右ハンドルに改造したそうな。

してみると、この交通ルール転換で一番ほくそ笑んだのは自動車メーカーだったのかもしれません。

バス自体の交換はスムーズに行きましたが、お客さんがいつものバス停でやってきたスに乗ったら、反対方向に行ってしまった・・・なんて笑うに笑えない話もあったそうです。あせあせ


 



         変更前                     変更後


一夜(一日)にして、こういう大規模なルール変更をキッチリ遂行するところが、いかにも真面目かつ几帳面な日本人らしい・・・と私には思えるのですが、実際にこの日を経験した沖縄の中高年の方々にとって、これは良き思い出なのでしょうか?

それとも・・・。


 


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