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【拡散希望】 凄 惨

今日は、私たち日本人にとって実に忌まわしい出来事に関して、皆さんにお伝えしたいと思います。

それは、今から81年前の今日起きた

 通州事件

について。 

1937(昭和12)年7月7日、演習中だった日本軍に対し中国が実弾を撃ち込む 『盧溝橋事件』 が勃発し、これが支那事変の端緒となりました。


世情が不安定になったため、在留邦人は比較的安全と言われていた通州城内に流れ込み、旅館は満杯に。

〝通州〟とは、現在の北京市の東約30kmに位置する通州区北部の中心都市で、当時は日本に留学経験があり日本女性と結婚していた親日派(と目されていた)・殷汝耕が南京政府から離脱して(日本主導で)設立した冀東(きとう)防共自治政府が統治していた場所。


      

               盧溝橋と通州区の位置関係


ゆえに自治政府の保安隊は日本軍によって訓練されており、日本側としては治安面においてさしたる不安を抱かず主力部隊を他の前線に送り出したため、事件直前の通州には小隊40名・自動車部隊50名ら合計120名の留守部隊のみが駐留。

その状況下で同年7月29日未明、自治政府保安隊及び国民革命軍ら約3,300名の支那人が蜂起。


城門を閉め電線・電話線を遮断した上で日本軍の留守部隊及び在留邦人を襲撃したのです。

この裏切り攻撃によって日本の留守部隊は全滅。

支那兵は日本人居住区を1軒ずつしらみつぶしに襲い、在留日本人385名のうち223名を虐殺。


   

その殺害方法は、まさに凄惨の一言。

子供を逆さまに持ち上げて地面に頭を叩きつけ、女性は皆凌辱され中には陰部を銃剣で抉られたり、鼻には針金を通されて牛のように引っ張られた跡が。

また男性の死体は殆どが首に縄をつけて引き回した跡があり、中には腹を裂かれて内臓を切り刻まれた者も。

※事件現場の写真は何枚も現存していますが、あまりに凄惨なため拙ブログでは掲載を控えました。  

『通州事件』で検索して画像をご覧いただければ、支那人がいかに残虐非道の限りを尽くしたのかがお分かりいただけます。


また当該事件に関して詳しく知りたい方には、写真や証言を集めて昨年出版された


  『慟哭の通州  昭和十二年夏の虐殺事件
                    (加藤康男・著 飛鳥出版・刊)

       


のご一読をお勧めします。 

表紙に選ばれた、結婚式を挙げてまだ半年余りだった石井亨さんと妊娠中の若妻が、またその日城内にいた邦人たちがどんな目に遭ったのか・・・涙と怒りなくしては読めません。

支那人の残虐性は日本人の想像を絶しますし、決して許容できない民族性を有していることがよく分かります。

そしてそれが変わっていないことは、彼らが現在ウィグルやチベットで行っている弾圧・民族浄化の実態を見れば明らか。

当時現地にいたアメリカ人記者をして、

「日本人の友人であるかのように警護者の振りをしていた中国兵による通州の日本人男女・子供らの虐殺は、古代から現代までを見渡しても最悪の集団虐殺として歴史に残るだろう」


と言わしめ、また極東軍事裁判では(一部ではあるものの)目撃証言が受理されているこの凄惨な事件に関し、学校で習ったという方はおそらく殆どいらっしゃらないでしょう。

それもそのはず、現在通州事件に関して記述している教科書は、自由社が刊行している 『新版 新しい歴史教科書』(中学生用) ただ一冊のみ。

私を含めた中高年世代が学生だった頃には、どの教科書にも記載されていませんでしたから。

日本人が虐殺された事件を封印し、有りもしない慰安婦問題や南京事件で謝罪する日本政府のヘタレぶりには呆れるばかりですが、その自虐外交にも少しずつ違う流れが・・・。

殆どのメディアは黙殺しましたが、昨年この通州事件に関して有志がユネスコ記憶遺産に登録申請したのです。

残念ながらこの申請は除外されてしまいましたが、この凄惨な事件を世界に知らしめるためにも、まずは私たち日本人がこの史実を知り後世に語り継がねばなりません。

犠牲となった日本人の無念を晴らすためにも・・・。


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