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放 火

兵庫の姫路城、岡山の津山城と共に〝日本三大平山城〟に列せられ、大天守を含む21棟の建造物が重要文化財に指定されている、愛媛県にある名城といえば・・・・もうお分かりですょネ。

 
松 山 城


    


別名『金亀城』・『勝山城』と呼ばれ、松山市のシンボルであるこの城は、実は復元されたもの。

なぜなら今から85年前の今日、焼失してしまったから。

そして残念ながらその原因は、放火でした。


この松山城放火事件が起きる約1年前の1932年9月に、道後温泉にある道後ホテルが炎上し、その19時間後に近くにある義安寺も燃えるという連続火災が発生。

警察はその原因を失火・放火のどちらかが特定できませんでしたが、地元の海南新聞(現・愛媛新聞)は放火が原因だとする推測記事を掲載。

それは松山城がターゲットにならぬように・・・と市民に警鐘を鳴らすためでした。

しかしその願いも叶わず、翌1933(昭和8)年7月9日に放火され、幸いにも天守は類焼を免れたものの、
小天守・南北隅櫓・多聞櫓を焼失してしまったのです。


    


犯人は、古川義雄(当時31歳)という、放火魔。


1902年に福井県で生まれたこの男は、家庭的に恵まれず少年時代から窃盗の常習犯。

1916年に感化院を脱走するなど、松山城の放火犯として逮捕されるまでに前科7犯で刑務所を出たり入ったりを繰り返した札つきのワル。

古川が放火に手を染めたのは、道後温泉で火をつけた1932年から。


以降現場の遺留品に遺されていた体液などから古川の犯行と特定され、逮捕された1936年までに西日本一帯の寺院や学校など大きな建物を狙って45ヶ所も放火(内37件で有罪)し、その被害は総額120万円・・・現在の約9億円に上りました。

また犯行を続ける中、潜入経路・放火手口・捜査網突破の模様などをマスコミに投書し、「生命の続く限り盛大に放火する」 と宣言する不敵ぷりも発揮しています。


言うまでもなく、放火は重罪。


一連の連続放火で死者は出なかったものの、一・二審とも死刑判決が出され確定。

逮捕から3年後の1939年9月に広島刑務所で刑が執行されました。

この放火魔は、犯行の動機について


「火を見ると興奮する」
「燃えれば大工や左官の仕事が増える」

などと供述したそうな。

もし現代の裁判だったら、いわゆる人権派弁護士は心神喪失による無罪を申し立てるのでしょうネ。

・・・ったく、冗談じゃありません。
うー


ここ数年、神社仏閣に対する放火事件が増えています。

おそらくそんな罰当たりは日本人ではないと思いますが、再発を抑止するためにも早く犯人を捕らえ、厳罰に処してもらいたいものです。


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