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開 花 < 前 >

我が愛読誌・月刊 『致知』 7月号に、料理の鉄人・道場六三郎さんとスポーツキャスター・松岡修造さんの対談が掲載されていました。

一見異色の組み合わせですが、そこはそれぞれの世界でトップに立った同志・・・なかなか濃い内容でしたので、以下に抜粋・編集にてご紹介致します。

          ◆     ◆     ◆     ◆

まずは、松岡さんの言葉から・・・。

錦織圭選手は11歳で修造チャレンジのトップジュニアキャンプに参加しましたが、その時僕は彼にテニスを教えてはいけない、と思いました。 ぼくの想像をはるかに超えるプレーをしていたからです。

ただ、人前で自分が思ったことをうまくアピールできないという弱い面もありました。 英語なんか一言も喋れない。

でも世界で戦うには海外で年間10ヶ月間、ホテルを探したり練習相手を見つけたり、すべて自分でしないといけません。

自ら行動する・・・これは日本人が不得意とするところです。

僕はそこを変えない限り、テニスはうまくならないと言い続けました。

その後彼か13歳で渡米する時に僕のところへ来て、

修造さん、僕は一番苦手な表現力を絶対つけて、アメリカで頑張ります。」

と言ったんです。 そして18歳で初めて国際選手権に優勝しました。

その時の優勝スピーチは堂々たるもので、もう別人のようでした。

僕はその優勝スピーチと11歳の時のスピーチをいつもトップジュニアキャンプで選手に見せているんです。

★平昌五輪で目を引いたのは、銅メダルを獲得したスキージャンプの高梨沙羅選手。

前回のソチ五輪の時に取材させていただいた時、彼女は「プレッシャーと言う言葉を知りません」 と言ったんです。

でも本番で結果を出せなかった。

その時、「皆さんの期待に応えられませんでした」 と謝られたので、僕は謝らないでくれと。

いつも通りの実力が出せない、これがオリンピックなんですよネ。


そして誰に負けたのかといえば、他ならぬ自分に負けたわけですよ。


よくオリンピックに魔物がいると言いますが、魔物は自分なんです。

その2年後、彼女は 「必ずオリンビックの舞台で失速する夢を見るんです」 とおっしゃった。

そこから彼女は風が吹こうが体調が悪かろうが、どんな時でも絶対に自分のベストが出せるように、とてつもない努力を積み重ねました。

平昌五輪の1年前に 「まだあの夢を見ますか?」 と聞いたら、「見ます」 と。「でも、夢を受け入れられるようになりました」 と答えたんです。

そして今回銅メダルを獲得した後にもう一度あの夢について伺ってみると、

あの夢を見てよかった。 あの夢がなかったら今の私はいない。
 あの夢が私を強くさせてくれた、変えてくれた。」


と答えてくれたんです。


       


★また平昌五輪で特に凄いと感じたのは、男子フィギュアで連覇を達成した羽生結弦選手。

どこが凄いかというと、一番は自分の心をきちんと言語化できるところです。

ただ単に 「頑張ります」 ではなくて、どのように頑張るかを具体的にチ絶えることができる。 ひと言ひと言に駆け引きがあって、そこに学びがあるんです。

そして優勝直後に 「どんなオリンピックでしたか?」 と尋ねると、彼は

「とにかく捨てて捨てて、捨てる作業をしたオリンピックでした。」

と。 ひとつは勝つために〝技〟を捨てたわけです。


羽生選手は世界で初めて4回転ループという大技を習得したんですが、それを封印しました。

もう一つは、自分の〝欲〟を捨てたと。

彼はゲームが好きなんですが、ケガをしてからそれも一切やめた。

あと、彼は〝幸せ〟も捨てたと言ったんです。


そして最後に、それではこのオリンピックで何を得たのか伺うと、「幸せを得ました」って。


          ◆     ◆     ◆     ◆

羽生選手、さすが国民栄誉賞を授与されるに相応しい若者ですネ。

・・・以下、後半に続きます。

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