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往 復

「下にぃ~、下に。」

そんな掛け声の中、街道をゆっくり進む大名行列。


各地の大名が地元と江戸を行き来する・・・いや、させられたのが

 参勤交代


これは徳川幕府が人質として大名の妻子を江戸に住まわせ、大名に原則1年おきに自領と江戸藩邸を往復させることで幕府に対する忠誠を証明させると同時に、多額の旅費・滞在費を負担させることで財政を逼迫させ藩の体力を削ぎ落す、という画期的(?)な知恵でした。

江戸幕府が倒れるまで延々と続けられたわけですから、その狙いは見事的中したといっていいでしょう。

しかしこの参勤交代、家康のオリジナル・アイデアではありませんでした。


      ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


元を辿れば、起源は鎌倉時代。

御家人を鎌倉に出仕させたのが始まりとされ、その後豊臣秀吉が大坂城・聚楽第・伏見城で配下の大名に屋敷を与えて妻子を住まわせ、そこに大名が1年毎に行き来したのが原形とされています。

ただしそれは全国を平定した秀吉に対する〝お礼参り〟のような性格のもので、強制されたわけではなく、むしろ諸大名が自主的に行ったもの。


そして関ヶ原の戦い以降、天下を取った徳川家康の歓心を引こうと各大名の江戸詣でが始まり、それを逆手に取る形で3代将軍・家光が1635(寛永12)年に武家諸法度を改訂して参勤交代を義務付け。

更に今から373年前の今日・1642(寛永19)年5月9日にそれまで免除していた譜代大名にも参勤交代を命じたことで、(一部の例外を除き)参勤交代制度が完成しました。

当然江戸から離れた領地の大名ほど負担は大きくなります。

そしてそれなりに見栄を張りますから行列の頭数も揃えなければなりませんし、更には他藩の領地を通過する際に贈り物も必要だったとか。

一般的に人足を含め150~300名が行列をなしたそうですが、加賀百万石でお馴染みの前田家は最高で4,000人(!)という記録が残されているそうな。

また費用も膨大で、同藩での最高記録としては1回の参勤交代で現在の貨幣価値に直すと4億3千万円以上もかけたとか。

そりゃあ財政も逼迫しますワ。

従って各藩ともできるだけ経費節減に知恵を絞りました。


前述の加賀藩では、通常12、3日かかるところを最速で6泊7日・・・1日当たり約70kmを走破(?)したというのですから、人が見ていないところでは全力疾走していたのかも。ダメだぁ顔

その時の殿様の籠を担いだ人足がもし現在にタイムスリップしてきたら、きっと箱根駅伝では無敵かもしれませんネ。


そんな参勤交代の内幕を、この本が教えてくれます。 題名はそのまま


 『参勤交代』 (山本博文・著 講談社現代新書


       ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


諸大名にとっては悩みの種だった参勤交代ですが、民間にとってはありがたい部分も。

この行列が通過する街道に宿場町が栄えたことが、そのひとつ。

また行列が領地に戻るたび、様々な江戸の最先端の情報・文化を持ち帰ったことも有益でした。

「えっ、でも行列が通る時は皆土下座していたんでしょ?」 と思う方もいらっしゃるでしょうが、あれはあくまでTVドラマの演出。

実際には土下座するのは自藩の大名行列が通る時だけで、他藩の行列にはしなかったのだそうな。

ただ、うっかり横切ってお手討ちされた子供などは実際にいたそうですが。うー

ドラマで観る参勤交代とは違った悲喜こもごもが、江戸時代の街道筋にはあったんですねェ。



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