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歌謡曲

私のような昭和世代で、彼の曲を全く知らない方はいないはず。

今日は日本の歌謡界をリードした作曲家


 吉田 正 

の命日・没後20周年にあたります。


        


 

吉田氏は1921(大正10)年に茨城県日立市で生まれました。

幼い頃から音楽好きだったそうですが、日立工業専修学校から増成動力工業に入社した彼は、どちらかといえば理系。

作曲は独学で覚え、趣味で歌を作っていたそうです。

1942(昭和17)年に陸軍に招集されましたが、1944年に急性盲腸炎を患い(日本軍がほぼ全滅した)ベリリュー島の戦いに参加しなかったことで辛うじて生き延びたものの、終戦と同時にシベリアに抑留されます。


そこで彼が軍隊生活の中で作った曲に、ある抑留兵が 『昨日も今日も』 という詩をつけた歌が広まったとか、

そして1948年、その歌を復員兵の中村耕造がNHKの素人のど自慢で歌い注目を集めました。

そんなこととは露知らず、吉田氏はそのラジオ放送直後舞鶴に復員し、召集前に勤務していた会社に復職。

その直後、佐伯孝夫がその曲を補作詞し、『異国の丘』 としてビクターレコードから発売。

これを聞いた吉田氏は、意外な展開で自分の作品が世間に広まったことに戸惑ったとか。

しかしこの歌のヒットのおかげで、その翌年に専属作曲家として日本ビクターに入社。


1960(昭和35)年に 『誰よりも君を愛す』 で、その2年後に 『いつでも夢を』 で日本レコード大賞を獲得。

1958年生まれの私は、この 『いつでも夢を』 をラジオで何度も聴いた記憶があります。


           


1968年には日本レコード大賞特別賞を受賞し、1993年には日本作曲家協会会長に就任した彼が残した作品は、実に2,400曲!(意外にも、そのうち600曲が校歌。)

ヒット曲は数知れずですが、私自身が営業マン時代にカラオケで歌った (というか歌わされた) 曲だけでも、『有楽町で逢いましょう』(1957年)、『東京ナイト・クラブ』(1959年)、『潮来笠』(1960年)、『傷だらけの人生』(1970年)、『子連れ狼』(1971年)等々、何曲も。

またこれらの作品を歌ったフランク永井、鶴田浩二、松尾和子、橋幸夫ら多くの歌手を一流に育て上げたことも、昭和の歌謡界における大きな功績でした。


彼が紡ぎ出した〝吉田メロディー〟は、敗戦後荒んでいた日本人の心を和ませ、生きる喜びや勇気と希望を与えてくれたといえましょう。

1998年6月10日、肺炎により77歳で天に召された吉田氏に、その翌月作曲家としては古賀政男・服部良一両氏に続き3人目の国民栄誉賞が授与されました。

でも、できれは生前に受け取っていただきたかったですネ。

彼の功績を称え、2004年に 『吉田正音楽記念館』 が故郷・日立市に建てられました。


       

お近くに行かれた際は、是非一度お立ち寄りください。

それでは最後に、吉田氏本人とその教え子たちの懐かしい歌声を聴きつつ、国民栄誉賞作曲家の冥福をお祈り致しましょう。
笑3


        https://www.youtube.com/watch?v=Y0POFita5xg





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