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組 長

・・・と言っても、反社会勢力の話じゃありません。

今日は、あの新選組の花形・一番隊の組長を務めた天才剣士、


 沖田 総司


の命日・没後150周年にあたります。

新選組の中でも特に人気の高い彼ですが、実は出生に関しては明らかになっていません。


生年に関しては1842年と44年の2説があり、陸奥国白川藩士・沖田勝次郎の子として江戸藩屋敷で生まれたとされていますが、父の名を伝える確かな資料はなく、母の名や実家についても不詳。

9歳の頃、江戸・市谷にあった天然理心流・試衛館の内弟子となり、近藤勇や土方歳三と同門になった事が、彼の運命を決したと言えます。


        

※この肖像画は、彼に似ているという総司の姉・ミツの長男・芳次郎の次男・沖田要氏をモデルにして昭和4年に描かれたもの。 本人の写真は現存していないそうな。


剣術について天性の才があった彼は、若くして試衛館の塾頭を務めた彼は、1863年の浪士組結成に参加し、上洛。

同組が分裂すると、彼は近藤・土方らに従って新撰組を結成し、主力の一番隊組長に。


芹沢鴨や内山彦次郎の暗殺に関わり、更に1864(元治元)年6月の池田屋騒動では真っ先に踏み込むなど、切り込み隊長としての役割を果たします。

※池田屋騒動に関する過去記事は、こちら。(↓) 



この時、沖田は喀血したという説があるのですが、彼は早くから病に侵されていたようです。


翌年2月には、脱走した総長の山南敬助を追って近江草津で捕らえ、切腹した彼を介錯しましたが、その2年後の1867年からは体調を崩して第一線を退きます。


同年12月には、報復として元御陵衛士3名に療養先の妾宅を襲撃されましたが、たまたま出かけていて難を逃れます。


鳥羽伏見の戦いには参戦できぬまま江戸に戻り、甲陽鎮撫隊に参加するも、やはり体調不良で脱落。

以後は幕府御典医・松本良順により匿われたものの、近藤勇が斬首されてから2ヶ月後の1868(慶應4)年5月30日に、盟友・近藤の死を知らぬままこの世を去りました。

(生年不詳ですが、沖田家の墓碑には24歳と刻まれています。)

潜伏先の庭に、毎日のように現れては沖田を見つめる黒猫がいたそうですが、彼が愛刀を抜いて斬ろうとしても失敗の連続。

これで自分の剣気が無くなったことを知り、死期が近いことを悟った・・・という剣士らしい逸話が残されています。


若くして病に倒れた美男の天才剣士という、いかにも人気が出そうなキャラの持ち主ですが、実際の剣はかなり荒っぽかったとか。

そんな沖田総司の〝終焉の地〟という碑が、浅草寺の裏手・台東区今戸にある、今戸神社にあります。

   


ここは、猫招きの発祥地で縁結びの神社としても知られているとか。

浅草寺のすぐ裏手(?)にありますので、スカイツリー等に観光で訪れる方は是非足を延ばしていただき、招き猫グッズを手に入れると共に若くしてこの世を去った天才剣士の碑にお参りしてください。


       


 


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コメント
コメント
どの作品でも美男子として取り上げられ颯爽と登場する総司。
美男、美女は早逝するのが宿命とか。
だからか、自分の長生きは。それで良しとします。

いつも訪問いただき有難うございます。
このたびブログを休むことにしました。来年初めには帰ってこれるかと思います。
その節はまたよろしくお願いいたします。
2018/05/30(水) 20:14:21 | URL | ミドリノマッキー #- [ 編集 ]
◇ミトリノマッキーさん
人間、必ずしも長生きすることが幸せとは限りませんからネ。
太く短くも、また良し。
そうですか、お休みを・・・残念ですが、復帰をお待ちしています。
2018/05/31(木) 05:17:26 | URL | ナベちゃん #- [ 編集 ]
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