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物干し竿

現在メジャーリーグ・エンゼルスで活躍中の大谷翔平選手。

二刀流でここまで大活躍するとは、アメリカならず日本のファンも驚いている方が多いでしょうが、実は日本プロ野球界では過去にも二刀流で活躍した選手がいました。

それが誰かは、中高年プロ野球ファンならブログタイトルだけでお分かりでしょう。そう、それは


藤村 富美男 選手

今日は初代ミスター・タイガースと謳われた、この伝説的名選手の命日・二十七回忌にあたります。

       

藤村選手は1916(大正5)年、海軍工廠の工員だった父の8人の子の7番目(三男)として広島・呉で生まれました。


大正中学2年生・16歳の時に早くもチームのエースとなった彼は、野球王国・広島県内の強豪を退け甲子園に春・夏通算6回の出場を果たし、京都商業の沢村栄治投手らと名勝負を繰り広げ、甲子園の申し子と呼ばれたそうな。

そして藤村選手の運命を大きく変えたのは、彼が卒業した1936年に、プロ野球リーグ(日本職業野球連盟)が結成されたこと。

※日本プロ野球発足に関する過去記事は、こちら。(↓)



当初藤村選手自身は法政大学進学の意向を固めていたのですが、大阪タイガース支配人・中川政人が藤村選手の父と兄を説き伏せ、殆ど騙すような形で契約書に捺印させて入団が決定。

東京六大学野球全盛だった当時、まだ職業野球は海のものとも山のものとも分からぬ存在。

藤村選手のタイガース入団に関し、地元野球ファンの反応は冷淡。

1934年の夏の甲子園では決勝戦で後の〝打撃の神様〟川上哲治選手を3打席3三振に切って取り、熊本工業を破って優勝した時は地元ファンが熱狂的に出迎えたのに、入団のため同じ呉駅を出発した時の見送りは、家族と僅かな友人だけだったそうですから・・・。


それに発奮してか、藤村選手は入団早々から大活躍。

同年4月28日の第1戦・対
名古屋金鯱軍戦に開幕投手として先発すると、1安打の初登板初完封で勝利を収めると、先発・リリーフを務める傍ら選手不足から内野手としても試合に出場する、まさに元祖・二刀流。

※同時期にタイガース入りした〝闘将〟景浦
將(まさる)選手も、二刀流でした。 彼も投打で活躍しましたが、1944年にフィリピンで戦死してしまい、実働は5シーズン余り・・・沢村投手同様、戦争が多くの選手の命を奪ってしまいました。


同年秋のシーズンでは、規定打席に達しないのに本塁打王を獲得するという快(怪?)挙を達成(と言っても、2本だけでしたが。)あせあせ

1939~43年まで4年半応召で兵役を務めまたためブランクがありましたが、復帰後は4番打者としてチームを牽引、サードにコンバートされた1944年には打点王を獲得しチームの優勝に貢献。

1958年に引退するまで実働17シーズン(投手は1951年まで)で、1,694安打・224本塁打・通算打率.300をマーク。

首位打者1回、本塁打王3回、打点王5回、そしてMVPを1回獲得。
投手としては34勝11敗、防御率2.35という戦績を残しました。

そして藤村選手のトレード・マークといえば、やはり冒頭の〝物干し竿〟。

    


赤バットの川上哲治や青バットの大下弘に対抗すべく、1948年からゴルフのドライバーからヒントを得て特注で作らせた37インチ(※約94cm 通常は33インチ=84cm前後)の長尺バットを振り回し、翌1949年にはプロ野球史上初めてシーズン40本を超える46本塁打をマーク。

豪快なだけでなく器用だった藤村選手は、チームが最下位だったにもかかわらずMVPを獲得するという〝壮挙〟を達成しています。

そして他の主力選手が次々とトレードでチームを去る中タイガースに留まり、1946、1955~57年と監督を兼務。

優勝こそなかったもののAクラスに踏みとどまった藤村選手がミスター・タイガースであることに、異論のある方はいないでしょう。

現役最後のホームランが代打逆転満塁ホームランだったという藤村選手が引退した際、つけていた背番号10はタイガースの永久欠番となりましたが、これはチーム創成期からつけていたもの。

つまり各チームに数ある永久欠番の内、過去1人しかつけていなかった唯一の背番号なのだとか。

しかし引退後は請われて国鉄・東映で一時期コーチを務めたものの、元来口が重く怒りっぽい性格だったため解説者としてはお呼びがかからず、1968年からは野球界から完全に離れてサラリーマンの道に。

そんな藤村さんのユニホーム姿は、彼が現役引退した1958年生まれの私は残念ながら全く知りません。

しかし 「おっ、これが噂のミスター・タイガースか・・・。」 とテレビに釘付けになったことが。

それは野球殿堂入りを果たしてから3年後の1977年、藤村さんが俳優として人気テレビ時代劇 『新・必殺仕置人』 で元締の〝虎〟役で出演された時。

素人とは思えぬ存在感と迫力に、思わず唸ったものです。

       

しかしそんな藤村さんも病には勝てず・・・1988年以降は病院や介護施設で闘病生活を送った後、1992年5月26日、甘党だったという藤村さんらしく、糖尿病による腎不全のため75歳でこの世を去りました。

ミスター・タイガースの逝去を悼み、甲子園球場にはこの日半旗が掲げられたと言います。

阪神だけに関わらず、プロ野球創成期を支えた名選手について詳しく知りたい方には、こちらのご一読をオススメします。


 『ミスター・タイガース 藤村富美男伝 


                               (十条院潤一・著 データハウス・刊)


       

元旦からオーブン戦をやったり、9イニングではなく20イニングの試合をやったり、はたまた戦時中では空襲警報が鳴ったら即試合中断・・・等々、藤村選手の活躍ぶりだけでなく、職業野球黎明期の苦労話を知ることができます。

今宵は久しぶりにこの本のページをめくりつつ、〝ミスター・ジャイアンツ〟長嶋茂雄選手が憧れて三塁手になったという、プロ野球発展の功労者のご冥福をお祈りしたいと存じます笑3


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