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英 雄

日本においては『子供の日』である今日・5月5日は、楽聖・ベートーヴェンが大変尊敬し交響曲第3番 『英雄』 を献呈しようとした、という逸話で有名な人物の命日でもあるのですが・・・もう、その人物の名はお分かりですょネ。


 ナポレオン・ボナパルト

  Napoléon Bonaparte

約200年前、フランス革命後の同国を掌握して軍事独裁政権を樹立し、一時はイギリスを除くヨーロッパの殆どを制圧した軍人・皇帝です。

1769年、コルシカ島でイタリア貴族の血を引くブオナパルテ家に生まれたナポレオン (※出生時はナプリオーレ) は、判事だった父親がフランス貴族と同等の権限を持っていた関係で早くからフランス本土で暮らし、そして学びました。


1779年に国費で学ぶパリ陸軍幼年学校に入学し数学で抜群の成績を収めると、その5年後には陸軍士官学校に進学し、砲兵科に学びます。


1785年に砲兵士官に任官されると、その4年後にフランス革命が勃発。


ナポレオン自身はこの革命には殆ど無関心でしたが、その間一家が弾劾されマルセイユに命からがら脱出する憂き目に遭っています。


その後軍隊に復帰した彼は内戦におけるトゥーロン攻囲戦で効果的な砲撃を進言して戦果を挙げ、24歳にして准将に昇進するとフランス軍における若き英雄として名を挙げました。


1795年に起こったヴァンデミエールの反乱を鎮圧して将軍に昇進した彼は、オーストリアとの戦いに勝利し領土を拡大すると1799年11月に自らクーデターを起こして統領政府を樹立、第一統領となって独裁体制を敷きました。


         ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


その後フランス軍を率いて諸外国との戦いに勝利を重ねると同時に、1804年には日本国憲法にも影響を及ぼしている 『フランス民法典(ナポレオン法典)』 を公布。


そして同年末には皇帝に即位し、絶頂期を迎えます。


翌1805年、宿敵イギリス征服を企むナポレオンはドーバー海峡を渡ろうと試み、ネルソン提督率いるイギリス軍にトラファルガーの戦いで敗北を喫したものの、欧州本土では勝利を重ねて殆どを同盟国・衛星国として支配下に収めました。


しかし〝盛者必衰〟は平家のみに非ず・・・1808年にスペインの内紛に介入したことが引き金となってスペイン戦争が勃発。


これにフランス軍が敗北したことを受け、オーストリアが再戦を挑むとこれに苦戦。


さらに1812年には大陸封鎖令に反抗したロシアに遠征・制圧を目論んだものの、過酷な寒さと飢えに苦しんだ末に総退却を強いられ、数十万人で出発した兵士のうちフランスに戻れたのは僅か5千人という大失敗に終わります。


これを見た周辺諸国は一斉に反攻を開始すると、1814年3月にはパリが陥落。


ナポレオンは捕えられ、コルシカ島近くのエネバ島へ流されることに。


しかし彼の失脚後のヨーロッパの体制を決めるべきウィーン会議は「会議は踊る、されど進まず」状態で民衆の不満が高まると、ナポレオンはエルバ島を脱出しパリで復位に成功。


新憲法を発布して再び権力の座を狙うも、結局は諸国から拒絶されワーテルローの戦いで完敗。


〝百日天下〟の末に南太平洋上に浮かぶ孤島・セントヘレナ島に幽閉され、そのまま1821年5月5日、胃がんにより51歳でその生涯に幕を下ろしました。(※一部に毒殺説あり)


天才・癇癪持ち・狂気・・・彼の評価には様々なものがありますが、少なくとも混乱期のフランス(国民)を一つにまとめたことは確か。


欧米では歴史上こういった英雄がしばしば登場しますが、出る杭は打ってしまう横並び意識の強い農耕民族・日本ではなかなか出現しません。


しかし東日本大震災後、混乱を続ける我が国にはナポレオンのようなカリスマ的指導者が出てくるべきかもしれません。

果たして後世にその名を残すような英雄が、今後の日本に出現するや否や?うー








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