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超 人

世界最高峰・エベレストの初登頂を果たしたのが、エドモンド・ヒラリー卿であることは、多くの方がご存知だと思います。

※ヒラリー卿に関する過去記事は、こちら。(↓)


 



今から65年も前に、現在とは比べ物にならない程貧弱な装備での登頂は、まさに人類史上に残る快挙であることは間違いありません。

しかし私が個人的にそれを凌ぐくらい凄いと思うのは、無酸素でのエベレスト登頂。

それが初めて達成されたのが、今からちょうど40年前の今日のことでした。


歴史に残る成功を収めたのは、世界屈指の登山家であり冒険家・作家でもある


 ラインホルト・メスナー

   Reinhold Messner


       

1944年にイタリア・南チロルで生まれた彼は、10代の頃から東アルプスで500回以上の登攀をこなした生粋のアルピニスト。

22歳の時にグランド・ジョラス北壁を攻略し、その3年後には世界三大北壁の中で最も難易度が高いアイガー北壁を当時の世界最短記録で踏破。


5年後には再チャレンジして自らの最短記録を更新し、世界トップクラスの登山家として名を馳せました。

しかしそんな彼にも、失敗と挫折が・・・。

1970年に、ナンガ・バルバットのルパール壁初登頂を目指す遠征隊に子供の頃から共に登山に励んでした弟・ギュンターと参加した際、本来はラインホルトの身が単独登頂する予定のところを下山用ロープの固定係として待機するはずだった弟が後を追い、結果的に2人で登頂に成功。



しかし双方とも体力の消耗が激しく、ラインホルトは重度の凍傷を負いながらも辛うじて下山・・・そして途中ではぐれた弟は、遂に下山できず行方不明に。

(※以後ラインホルトは10回も弟の遺体捜索を行うも発見できず。

偶然に遺体が見つかったのは、事故後36年経過した2006年。)


この事故に関しラインホルトに遭難の責任を問う声が上がりましたが、彼はそれにメゲることはありませんでした。

凍傷のため足の指6本を切断し3ヶ月の入院生活を余儀なくされながらも、1975年にはガッシャーブルムⅠ峰で再びハーベラーとコンビを組んで人類初のアルバイン・スタイル(無酸素・固定ローブなし・キャンプなしでチームを組まない登山方法)での登頂に成功。

1978年には以前事故を起こしたナンガ・バルバットで同様に成功を収めると、同年に再びハーベラーとコンビを組んでエベレストに挑戦。

そして同年5月8日に、見事人類初のエベレスト無酸素登頂に成功したのです。

一般人にはピンときませんが、人間にとって酸素量が生命を維持できなくなるのは標高8,000m以上とされており、標高8,848mのエベレスト山頂では酸素濃度は地上の1/3。

普通の人間なら酸素マスクなしだと10秒程で気を失い、呼吸困難や肺水腫・脳浮腫に罹患するとか。

そんな場所に無酸素で行くのは、殆ど自殺行為に等しいこと。
それを達成したのですから、いかに奇跡的な偉業かお分かりいただけるでしょう。

    

              メスナー(左)とハーベラー


※しかし残念ながら、その後パートナーだったハーベラーとは喧嘩別れになってしまいました。

その後彼はチャレンジを重ね、2年後の1980年には再びエベレストに立ち向かい、今度は単独での無酸素登頂に成功。

1886年には8,000m峰14座全ての無酸素登頂に成功する快挙を達成。


更にはグリーンランド・南極・ゴビ砂漠の横断にも成功していますから、まさに世界一の冒険家と言って間違いないでしょう。

2001年にイギリス王立地理学会から金メダルを授与され、今はイタリア北部の古城で静かに生活しているという彼の生き様・人生哲学に興味のある方には、こちらの自著のご一読をオススメします。


 『極限の挑戦者』 (東京新聞出版局・刊)


       

同書では、なぜ彼が最新鋭の装備を嫌い、危険かつ困難なアルパイン・スタイルに拘ったかなど、その登山(冒険)哲学がふんだんに語られており、私には共感するところが多々ありました。


また前書きで語られている

「僕の冒険の根本となるのは、自らの決断と自己責任である。
それは、その冒険が正しいのか間違っているかの判断より、むしろできるかどうかを問うものである。」


という言葉に、私は彼の確固たるアイデンティティーを感じるのです。



 


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