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焼夷弾

先月、日本本土が戦時中に受けた空爆について記事にしました。



数えきれない程の焼夷弾が雨あられと落とされ、多くの人命が失われ街が破壊されましたが・・・その焼夷弾が世界で初めて本格的に使用された空爆といわれているのが、今から81年前の今日・1937年4月26日に行われた

  ゲルニカ爆撃
   Bombing of Guernica


でした。


ゲルニカは、スペイン北部に位置するバスク地方の文化的伝統の中心地。


 


そのスペインでは1930年代に入って左右両派の勢力が拮抗し、政情が不安定でした。

そんな中、1936年7月にフランシスコ・フランコとエミリオ・モラ両将軍が軍事クーデターを起こしたことで内戦となり、バスク地方は分断状態に。

そしてフランコ軍と手を組んだドイツ軍は翌1937年1月から小規模な空爆を行い始め、同年3月末のドゥランゴ爆撃を期してモラ将軍は北方作戦を開始。

そして4月26日午後、ドイツ空軍のコンドル軍団は共和国軍の退却路を断つべく爆撃機・戦闘機そして護衛役のメッサーシュミットで編隊を組み、ゲルニカ上空に飛来。

第1波の爆撃機が爆弾を落として建物を破壊、第2波の戦闘機が機銃掃射で住民を襲い、第3波で焼夷弾を落として街を火の海にする〝リューゲン作戦〟が、午後4時30分から3時間余りにわたって実行されました。

当日は月曜日でゲルニカでは市が立っており、他の地域からも人々が集まっていて、かつ木造家屋が多かったため被害は甚大。

街の70%余りが焼失・破壊され、死者は約300名に上りました。

(※空爆直後にバスク政府が発表した被害は、死者1,654名・負傷者889名でしたが、その後の調査で大幅に下方修正。)


    


この空爆はロイター通信が第一報を伝え、『タイムズ』 のジョージア・スティア記者が詳細な記事を同紙及びニューヨーク・タイムズに掲載したことで注目され、内戦に加担したドイツは国際的に非難されました。

(ドイツでは、ナチスが国内のタイムズ紙を全て回収したそうな。)


そしてゲルニカの名を世界に知らしめたのは、何と言ってもピカソでしょう。

当時パリ在住で共和国支持だった彼は、この空爆の一報を耳にするや大激怒。


『ゲルニカ』 と題した348cm×777cm という巨大な作品を空爆から2ヶ月も経たぬ6月上旬に完成させると、同時期開催されていたパリ万博のスペイン館に展示し、この空爆の悲惨さを世界に知らしめました。


 


しかしこの空爆が効いたのか、爆撃から2ヶ月後にバスク自治政府は反乱軍の軍門に下り、1939年3月末にはフランコ将軍がスペイン全土を掌握したのです。

ところで、このゲルニカ爆撃と東京大空襲を比較してみると・・・

              ゲルニカ        東  京

 爆撃機数          23          325 

 焼夷弾数        5,948           381,300

 死   者         300      8万~10万以上 

 


被害の差は、一目瞭然・・・にも拘わらず、ゲルニカ爆撃は国際的に非難を浴びたのに、なぜ東京大空襲は問題視されないのでしょう? 

その理由は、

 ① ピカソが絵を描かなかったから
 ② アメリカがやったから
 ③ 被害を受けたのが日本人だから


皆さんは、どれだと思いますか?
うー


 


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