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臥薪嘗胆

皆さんは、学校でこれを習った記憶があると思います。


 三国干渉

でも、これが何かをスラスラと答えられる方は、少ないかも。

これは今から123年前の今日・1895(明治28)年4月23日に、ロシア・フランス・ドイツの3国が、その僅か6日前に日本と清国との間で交わされた下関条約で日本に割譲された遼東半島を清国に返還するよう求めたもの。

遼東半島とは、中国大陸と朝鮮半島の間に突き出た半島。


     

ここは地政学的に非常に重要なポイントで、当時日本にとっては満州進出の拠点となる一方、ロシアにとっては極東進出の足掛かりとなる不凍港を確保するために譲れない場所でした。

そこでロシアは、清国の分割に関心を持っていたドイツ・フランス・イギリスに、協調して遼東半島割譲を阻止するよう持ちかけます。

イギリスはロシアの極東進出に反対していたのでこの話には乗らず、結局露・独・仏3国での干渉となったのです。

(アメリカは、この件に関しては中立姿勢を崩さず。)

この勧告(干渉)を受け、伊藤博文首相は広島で御前会議を招集し、

 ①全面拒否
 ②列国による国際会議に委ねる
 ③勧告受け入れ


の3案が検討されました。


会議では②案に傾いたものの、当時病床にあった陸奥宗光が

「②案だと遼東半島返還以外に話が拡大・波及する怖れあり」

として、③案を主張。

結局その③案に落ち着き、同年11月に清国と『奉天半島還付条約』 を締結し、賠償金3,000万両(当時の4,500万円、現在の貨幣価値で700億円前後?)と引き換えに返還されたのです。

     
               奉天半島還付条約文書


この譲歩に関して日本国内では激しい批判が巻き起こりましたが、政府は国民に対し〝臥薪嘗胆〟をスローガンにして、ロシアに対する敵愾心を煽り、軍拡を進めました。

これが後の日露戦争への導火線となったことは言うまでもありません。

ただそれ以前に列強が清国に割譲させたのは、イギリスの香港のみ。

遼東半島割譲は、面積でいえばその約20倍の規模となりますから、列強の目に過大な要求に映ったのも致し方なし・・・むしろ欲張りすぎて、寝た子を起こしたと言えましょうか。

しかし列強に泣きつく形で遼東半島を取り返した清国も、この干渉を恩に着せられ、日本に対する賠償金の借款供与の見返りに租借地や鉄道敷設権を要求される始末。

結局は、列強のいいようにやられたという事。

この一件を顧みると、日本外交の弱さと西欧諸国の強かさが浮き彫りになります。

しかし当時の国力では、致し方なかったとも言えますが・・・。

外交は(軍事・情報)力と駆引きが全てであり、まさに〝勝てば官軍・負ければ賊軍〟。

国際社会に於いては誠心誠意とか、話せば分かる・・・なんて甘い考えは通用しないことを、日本人は心得るべきでしょう。うー


 


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