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厭 世

〝あ~あァあ やんなちゃった あ~あ、あァ、あァ 驚いた!〟

このフレーズ、中高年の方なら憶えていらっしゃることでしょう。


 牧 伸 二 さん

今日は、ウクレレを手に軽妙なトークで人気者だった、この漫談師の命日・三回忌にあたります。

(本名:大井 守常) さんは1934(昭和9)年に東京・目黒区で生まれました。

戦時中岩手に一時疎開経験がありましたが、終戦後は夜間高校に通いつつ会社勤め (※後に結婚したのは、同社専務の一人娘) をしていましたが、高校1年の時にラジオで聞いた牧野周一さんの漫談に触発され、高校卒業後に浅草の話術同好会に入会。

1957(昭和32)年にラジオ番組の『しろうと寄席』に出場し、7週連続で名人位を獲得。

これが認められて憧れだった牧野さんに弟子入りが許され、師匠の一文字を取った〝牧伸二〟の芸名をいただくと同時に、ウクレレ漫談を勧められました。

その実力は当初から折り紙つきで、駆け出しの頃から美空ひばりさんの公演巡業に同行して前座を務めた程。

そしてあの有名なボヤキ漫談 『やんなっちゃった節』 で人気が急上昇すると、1960年には文化放送で 『ウクレレ週刊誌』 というレギュラー番組を持つように。

ハワイの民謡をアレンジした 『やんなっちゃった節』 は、その時々の話題を巧みに取り込み人気は長く続き、作ったネタは1,500以上に登ったとか。


         


1963(昭和38)年にはNET(現・テレビ朝日)の『大正テレビ寄席』の司会に起用されると、以後番組が終了するまで15年に渡り務め続けました。

1965年には第2回日本放送作家協会賞・大衆芸能賞を受賞。

1973年から10年間にわたり 『牧伸二ショー』 の公演を行うなど、漫談師としてはトップクラスの活躍を続け、弟子も泉ピン子、牧ひろし、牧タカシ、牧のぼる等何人も育成。

(※ただし泉ピン子さんとは、彼女がいきなり事務所を辞めて独立したことで、以後一切交流はなくなりましたが・・・。)


そして1999年には東京演芸協会の第6代会長に就任・・・しかし、これが後々彼の寿命を縮めることに。

2002年に脳出血で倒れるも、リハビリを経て復帰。

翌年にはタバコの不始末から自宅でボヤ騒ぎを起こすなど、その頃から認知症の症状が出始めていたとか。

そして会長を務めていた東京演芸協会に数百万円の使途不明金が発覚。

その説明をするはずだった2013年4月28日午後の理事会を欠席して所在不明になった牧さん・・・翌29日午前過ぎ、丸子橋で多摩川に飛び込んだのを近隣住民に目撃され、病院に搬送されたものの、死亡が確認されました。

遺書がなく、それが不明金を苦にした自殺なのか、はたまた認知症による事故だったのか?


若い頃には芸に行き詰って牧野師匠に舞台のアナを埋めてもらったこともあったという、かなり繊細な神経の持ち主だっただけに、〝生涯現役〟を口にしていた牧さんは認知症の進行によって舞台に立ち続けることが難しくなったことを苦にしたのかも?

真相はご本人にしか分かりませんが、最後は自分自身に 『いやんなっちゃった』 のかもしれません。

78歳で天に召された、昭和を代表する芸人のご冥福を、お祈り致します。





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