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文学青年

おそらく私と同年代かそれ以上のシルバー世代の殆どの方は、このTVドラマシリーズはご覧になったことがあるでしょう。

今日は、その『時間ですよ』(1970~74年)や『寺内貫太郎一家』(1974~75年)をプロデュースした演出家、


  く ぜ  てるひこ

 久世 光彦 


の命日・十三回忌にあたります。


        


1935(昭和10)年に陸軍軍人の息子として東京・杉並区で生まれた彼は、疎開先の富山で高校卒業まで暮らし、東京大学文学部に進学。

在学中は小説家になる夢を持つ文学青年だったそうですが、同い年の親友・大江健三郎が1957年にデビューし翌年に芥川賞を獲得したことで、その夢を一旦捨ててしまいます。

そして大学卒業後ラジオ東京(現・TBS)に入社すると、演出家・プロデューサーの道に。


そんな彼に大きな影響を及ぼしたのが、直木賞作家・向田邦子さんとの出会いでした。


※向田さんに関する過去記事は、こちら。(↓)




久世さんと向田さんの運命的な出会いは、1963年。

森繁久彌さん主演の連続ホームドラマ 『七人の孫』 にそれぞれアシスタント・ディレクターと脚本家の一人として携わった時のこと。

ホームドラマについては素人だった向田さんに、久世さんが基礎を教えたことから、この名コンビが誕生したのです。

以来、前述の 『時間ですよ』 ・ 『寺内貫太郎一家』 の人気ドラマシリーズを世に送り出しました。


    


しかし好事魔多し・・・『ムー一族』 をヒットさせた直後の1979年に、久世さんの不倫が発覚(後に奥さんと離婚し、不倫相手の女優と再婚)し、TBSを退社。

1980年に制作会社 『カノックス』 を設立するも、翌年にはポーカー賭博疑惑で警察から取り調べを受け、謹慎する羽目に。

しかし彼は、メゲませんでした。

向田さんに刺激を受けた文学青年は50歳を過ぎてからエッセイなどを書き始め、1987年には 『昭和幻燈館』 で作家デビュー。

念願の直木賞は逃したものの、山本周五郎賞など数々の文学賞を獲得。

また作詞でも日本レコード大賞を受賞した 『無言坂』 など多くの作品を残しました。

もともと大の病院嫌いで、軽度の糖尿病で脳梗塞を患っても頑なに入院しなかったという彼が、虚血性心不全により70歳でこの世を去ったのは、2006(平成18)年3月2日。

直前まで仕事を入れていた彼の突然の死は、関係者を驚かせたといいます。

今頃は、先に飛行機事故で亡くなった盟友・向田さんと天国で楽しく文学談義を交わしていることでしょう。

浅田美代子さんや小泉今日子さんら多くの女優を、時には手を上げて厳しく育てた名プロデューサーでもあった、永遠の文学青年のご冥福をあらためてお祈り致します。笑3


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