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転 覆

東京五輪開催直後の1964年12月に開業し、1969年に現在の東京・中野駅~千葉県・西船橋駅間30.8kmの全線開通・営業を開始した、

 東京メトロ・東西線

その名の通り首都圏を東西に横断し、サラリーマンや学生が数多く利用する地下鉄・・・損保マンだった私も、日本橋にある本店勤務時代には何年か通勤で利用していました。


実はこの東西線、地下鉄とは言いながら全線の半分近く、約14kmが地上を走るという、他に類を見ない路線。

これは経路の地盤が軟弱なことと、建設当時はまだ用地買収が容易かつ地下を掘るより高架の方がコストが1/10だったことがその要因だったそうな。

この東西線を現在利用されている方の殆どがご存知ないと思いますが、今からちょうど40年前の今日・1978(昭和53)年2月28日・・・その地上を走っている時に脱線転覆事故が起きました。

事故地点は、南砂町駅~西葛西駅間に架かる、荒川中川橋梁。


    

全長1,236mで、事故当時は私鉄で最も長い鉄道橋でした。

ここを同日午後9時30分過ぎに中野行き快速列車(10両編成)が走行中、強風を受けて後部2両が脱線・転覆したのです。

夜遅い時間帯だったため乗客がそれほど多くなかったことと、橋の構造が両側に三角形状に鉄骨を組んだトラス構造で車両が川に転落しなかったため死者はなく、ケガ人23人だけで済んだことは不幸中の幸いでした。


    


当該事故に関し、当初一部のテレビ・新聞では、アルミ製の車輛が軽量だったが故に強風に煽られ転覆したと報じたようですが、これは誤報。

車輛はステンレス製で決して軽量ではなく、また当時営団地下鉄では地上の要所に風速計を設置し、風速15m/sで警告ブザーが鳴り、20m/sで運転を見合わせることになっていましたが、この時はブザーすら鳴りませんでした。

では、何故転覆したのか?

その原因は・・・なんと〝竜巻〟でした。

この事故が起きる10分ほど前、神奈川県川崎市から約30km離れた千葉県市川市に向かって幅3~500mの範囲内で約30分の時間内に突風により民家8戸が全壊し、60戸の屋根が飛ぶという被害がありました。

地図で見ると、事故現場の橋梁(赤矢印先)が、その時速80~100


kmで移動したと思わる竜巻のルート上にあることが分かります。

    

その後の調査で、
走行中の列車を竜巻が直撃する確率は50~100年に1回と計算され、不可抗力という結論になったとか。

まさに宝くじの1等賞に当たるかそれ以下の確率・・・ですが、当時に比べ熱帯化が進みゲリラ豪雨が頻発する首都圏では、竜巻が起きる確率は上がっているはず。

突発的に起きるため事前に回避することは殆ど不可能な事故ですが、

「乗用車ならともかく、何十人も乗ってる重い電車なら安全」

なんて甘い考えは、大自然の驚異には通用しないことを認識すべきでしょう。
うー



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