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実 況

現在、偏向報道や不祥事で多くの批判を浴びているNHK・・・私も今は殆ど視聴していませんが、例外的に観るのはスポーツ中継。

メジャー・リーグや日本のプロ野球、またサッカーやバスケット・ゴルフなど各種競技の日本選手権など国内最高峰の中継は、ほぼNHKの独占中継ですからネ。

その子供の頃から観ていたNHKのスポーツ中継で私がお世話になったというか、忘れられないアナウンサーがお2人いらっしゃいます。

1人はオリンピック11回、そして1969年・夏の甲子園決勝・三沢 vs 松山商 〝延長18回の死闘〟を
実況した羽佐間正雄アナ(1931- )。

そしてもう1人が


西田 善夫 アナ


今日は、身長184cmの大柄な体格で細い目に黒縁のメガネをかけ、いつも笑顔を絶やさなかったこの名物スポーツ・アナの命日・三回忌にあたります。

       


西田アナは羽佐間アナより5歳年下・・・1936(昭和11)年に東京で生まれました。

私の生まれた年・1958年に早稲田大学法学部を卒業し、NHKにアナウンサーとして入局し室蘭放送局に配属。

そして1964年の東京オリンピックでは最年少アナとしてバレーボールの実況を担当。

あの〝東洋の魔女〟を率いて金メダルを獲得した大松監督にソ連を破った直後の優勝インタビューをしたのが、西田アナでした。


以後オリンピック実況は羽佐間アナに続く10回にのぼり、1976年のモントリオール五輪では、女子バレーボールの決勝戦を実況し、山田重雄監督率いる日本チームの優勝を

「笑顔の優勝です。 泣かない優勝です。」

と実況したことは有名。

実は西田アナ自身、東京オリンピック開催前の札幌放送局時代、ちょうど9人制から6人制に移行する時期に体育の先生らに混じって講習会に参加し、日本バレーボール協会のB級地方公認審判員の資格を取得。

学生試合の審判を務めたことがあるそうですから、まさに〝好きこそものの上手なれ〟。


そして1980年のレークプラシッド冬季五輪では、〝ミラクル・オン・アイス〟と言われた、当時世界最強を誇ったソ連アイスホッケー・チームを学生選手で固めた若いアメリカチームが撃破した歴史的な試合も実況。

※西田アナにとっても最も思い出に残っていたという、この伝説の試合に関する過去記事は、こちら。(↓)



アイスホッケーと言えば、西田アナの実況でこんなことが・・・。

私が中学生時代、世界選手権の実況中継でフィンランドのチームを紹介した時に、

「背番号〇〇番の選手はアホカイネン。 

日本人が一度聞いたら忘れられない名前です。」

と大真面目で仰ったこと。

確かに、40年以上経った今でも私はしっかり憶えています。
あせあせ


       
               若かりし頃の西田アナ

その後もあらゆる競技のスポーツ実況を始め、『スポーツアワー』 や『サタデースポーツ』 のキャスターなどを務めました。

1991年にはスポーツアナ出身として初めてNHK解説委員を務め、1996年に定年退職した後は鹿屋体育大学・立教大学などの教授を歴任。

1998年には新設された横浜国際総合競技場の初代場長を務め2002年のサッカーW杯成功に尽力。

その後スポーツ評論家の傍ら、
総務省 『スポーツ拠点つくり推進委員会』 委員や野球殿堂特別表彰委員も務められた西田さんでしたが、2016年2月27日・・・心不全により80歳で天に召されました。

まさにスポーツ一筋の人生・・・体育会系の私には羨ましい限りですが、同時に西田さんは複数の著作も残しています。

今日は、その中の1冊をご紹介しましょう。


 『オリンピックと放送』 (丸善ライブラリー)


       


西田アナの豊富なオリンピック実況中継の経験談を通して、スポーツ中継黎明期からの技術の進歩や実況アナの苦労がよく分かります。

私のような昭和世代の方が読めば、それぞれのオリンピックの名場面が脳内スクリーンに蘇ることでしょう。


平昌五輪は終わりましたが、来る2020年の東京五輪のテレビ中継をより楽しみたい方には、オススメですョ。

今宵は久しぶりに同書のページをめくりながら西田アナの笑顔を思い出しつつ、改めてご冥福をお祈りしたいと思います。


 


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