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瞬間湯沸かし器

今日・2月9日は、元読売巨人軍監督にして〝球界の紳士〟といわれた我が母校・慶応義塾の先輩、


 藤田 元司 


の命日・十三回忌にあたります。


       


1931(昭和6)年に愛媛県新居浜市に生まれた藤田氏は、県立西条北高校から慶應義塾大学に進学。


東京六大学リーグ通算31勝を挙げたスター選手でしたが、優勝は僅か1回に終わり、〝悲運のエース〟といわれました。


大学卒業後、日本石油を経て1957年に読売巨人軍入団。


ルーキーで17勝を挙げ、新人王を獲得。 


2年目で29勝、3年目では27勝してリーグ優勝に大きく貢献し、2年連続のMVPに輝きました。


         


またあまり知られていませんが、長嶋選手がサヨナラホームランを放った1959年の天覧試合では、栄えある先発投手を務めています。


しかし登板過多により肩を故障してしまい、4年目からは毎年勝ち星が5勝前後と急降下・・・1964年に現役僅か8年で引退。

それでも通算勝利は119勝を数えました。


現役引退後は川上監督の下で投手コーチを努めましたが、二軍コーチやスカウトに異動させられるなど不遇の時期も。


そんな藤田氏が再び脚光を浴びたのは、1981年・・・長嶋監督解任を受け、後任として白羽の矢が立った時でした。             


就任当初は長嶋ファンから筋違いの嫌がらせが続き、自宅に脅迫電話もかかってきたとか。

しかし彼はそれに怯むことなく就任1年目にリーグ優勝、更には9年ぶりの日本一に輝きます。


1983年にリーグ優勝するも王監督に禅譲する形で勇退し解説者となりましたが、1989年には監督復帰。 


4年間でリーグ優勝を2回果たしました。


実は藤田監督・・・一見温和な紳士に見えますが、〝瞬間湯沸かし器〟という綽名がつく程の超短気。 


実際ベンチ裏では星野監督同様、時々選手に手を上げたことがあったそうですが、表向きは決して選手を叱ったりけなしたりせず、とにかく褒めることに徹したそうです。


また1990年の日本シリーズで4連敗を喫した時も、「監督がヘボだから負けた」 と一切選手を責めませんでした。


多くの選手の声を全て耳を傾けメモを取っていたという藤田監督・・・ON解任後の敗戦処理役(?)を引き受けたにも拘らず、監督通算成績は、


川上監督 1,066勝 739敗 61分  勝率 .591

長嶋監督 1,034勝 889敗 59分  勝率 .538

 王 監督   347勝 264敗 39分  勝率 .568 (※巨人のみ)

藤田監督   516勝 361敗 33分  勝率 .588


と、勝率ではONを凌ぎ、川上・V9監督に肉薄する素晴らしさ。


藤田監督の高い手腕を客観的に示しているといえましょう。


ただ私は個人的に、藤田監督が長い目でみて最も球界に貢献したのは、就任1年目の初仕事・・・4球団が競合した東海大・原辰徳選手の当選くじを見事に引いたことだと思っています。扇子


       


もしあの時、藤田監督が外していたら・・・原選手の輝かしい活躍もなければ、巨人軍はもちろん侍ジャパンの監督としてWBC連覇という偉業も達成できなかったでしょうから。


2006年2月9日、心不全により76歳でこの世を去った藤田氏・・・奇しくも、1989年に日本シリーズで死闘を演じた近鉄の知将・仰木元監督が亡くなった僅か2ヶ月余り後のことでした。


今は天国で、お二人が野球談義に花を咲かせていることを願いつつ、〝短気な紳士〟のご冥福をお祈り致します。笑3


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