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商 才
今日・4月24日は、江戸時代の商人としては最も有名な

 紀伊国屋文左衛門


の命日とされています。


されています・・・と書いたのは、彼は出自・履歴等がはっきりしていない〝伝説的人物〟だから。

1669(寛文9)年に現在の和歌山県有田郡で平家の落武者をルーツとする五十嵐文三の子として生まれたという文左衛門(幼名・文吉)は、幼い頃から商才があったようです。

そして最も有名な彼の逸話は、以下のものでしょう。


20歳代の頃、海が時化ていて船が出せなかったため、江戸ではみかんが高騰。

一方でその年紀州ではみかんが大豊作で、地元での売値は暴落。

ここに目を付けた文左衛門が安いみかんを買い集め、修理したボロ船に乗せて荒れる太平洋に向かって出帆。

何度も死ぬ思いをしながらも遂に船は江戸に到着し、大儲け。

しかも大阪では洪水により伝染病が流行っていると知った彼は、帰りの船に塩鮭を満載すると、「伝染病には塩鮭が効く」というウワサ話を広めさせたうえで、これを完売。

たった1往復で財を成したという・・・。

〝沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国みかん船〟


という歌に残っていますから、さぞ江戸の庶民は喜んだのでしょうが、塩鮭の話は今なら詐欺罪で逮捕される犯罪行為。

・・・ところが、この逸話は幕末に為永春水・作の小説 『黄金水大尽盃』 に描かれたもので彼の存命中や没後すぐの資料には全く見当たらず、創作といわれています。


      

       『紀伊國屋文左衛門の生涯』 (山本 育・著 マネジメント社・刊)   




5代将軍・綱吉時代の元禄年間には江戸に出て、側用人・柳沢吉保ら幕府の幹部に賄賂を贈って取り入り、幕府御用達の材木商人となって上野寛永寺・根本中堂の造営で巨利を得たことは確かなようです。

しかし深川木場の火災で店を焼失したため、材木商は廃業。

次に彼は幕府から十文銭の鋳造を請け負いますが、その出来栄えがすこぶる悪く、僅か1年で通用を停止されたため大損。

なぜ畑違いの硬貨鋳造に手を出したのかは分かりませんが、この失敗で文左衛門はすっかり事業意欲をなくした模様。

それでも若かりし頃に築いた財産は莫大で、晩年の彼は俳句を楽しみながら余生を過ごし、1734(享保19)年4月24日に亡くなったと伝えられています。

紀伊国屋は2代目文左衛門となった次男が継ぎましたが、目立つ
商いが出来ぬまま店は衰退したとか。

偉大な(父)親を持つ子が大成しないのは、古今東西を問わないようです。

しかしたとえそれが創作話だったとしても、彼の残した逸話は商人の基本・心得を私たちに教えてくれます。


あらためて赤穂浪士と同じ時代に生きた〝伝説のみかん商人〟のご冥福を、お祈り致します。笑3


※ちなみに、新宿の紀伊国屋書店や食品メーカーの紀文は、この文左衛門とは全く関係ないそうです。




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