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活 機

今日は私の愛読誌・月刊『致知』2月号より、同誌編集発行人・藤尾秀昭氏の筆による、新年に相応しい身の引き締まる〝巻頭の言葉〟を以下に編集・抜粋にてご紹介いたします。


    

          ◆     ◆     ◆     ◆


人生は機の連続である。
機には良い機もあれば悪い機もある。

その機を受動的にではなく、積極的に活かしていくこと。>
それが〝活機応変〟である。

優れた先人は皆、活機応変に徹した人である。
松下幸之助はその典型であろう。

幸之助は和歌山の素封家の家に生まれた。
何不自由なく育てられたが、父親が米相場に手を出して破産。
尋常小学校の卒業を待たず、10歳で船場に丁稚奉公に入った。


兄弟は8人いたが、26歳までに肉親をすべて失い、自らも22歳の時にカタル性肺炎に罹った。

その時の幸之助の決意には目を見張る。

「どうせ死ぬのであれば、養生して寝ながら死ぬよりも働けるだけ働いて死ぬ方がいい。


結核に罹った以上、死ぬのは避けられない。

兄2人も結核で死んだのだから、自分もジタバタしてもダメだ。

しかし、ただ寝て死を待つというのは面白くない。 働ける間は大いに働こう。」

この決意、この機の活かし方こそ、幸之助を後に大成させる礎となったに違いない。

幸之助にはもう一つ、大きな機がある。 


それは昭和20年、敗戦の年。

松下電器は戦時中に軍の仕事にかかわったため、GHQから財閥指定を受けて一切の財産を凍結され、幸之助も公職追放の身となった。


番頭の高橋荒太郎はGHQに抗議するため百回近くも上京、粘り強く交渉し、労働組合も社長の公職追放除外を求める嘆願運動を展開、数年後にこの2つの指定は解除された。

この頃の心境を語った幸之助の言葉がある。


       


「私は敗戦で一切の財産を凍結された。
更に仕事もないのに5,000人の従業員を抱え給料を払わなければならなかったりして、日本一の借金王にもなった。
人生にはどうにもならないこともある。 
もう逃げるに逃げられない、死ぬに死ねないということもある。」

おそらく同じ頃のことだろうが、こういうことも言っている。

「素直になれない。だが素直にならなければ自分は生きて行けない。」

後年、幸之助は「素直の一段になりましょう」と言い続けたが、この体験に由来しているのだろう。

死ぬに死ねない、どうしようもない状況、機の中から、幸之助は人間的な脱皮を遂げたのである。

カラーテレビの二重価格問題で、主婦連が不買運動を起こしたことがあった。

電化製品で主婦を家事から解放してきたという思いがあっただけに、幸之助も最初は腹を立てたが、一夜明けてこれは天の声と受け止め、素早く対策を講じていった。

活機応変の見事な姿をそこに見る。
我々が幸之助の足跡に学ぶものは多い。

最後に、活機は活気でもある。
機を活かすには気力が旺盛でなければならない。

気力が旺盛でなければ、個人も国家も発展しない。
この自明の理を噛み締め、人生の万変に活機応変していきたい。



          ◆     ◆     ◆     ◆


〝活機応変〟・・・憶えておきたい言葉ですネ。


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