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無 念

今日・1月5日は、日本海軍史上において唯一人、連合艦隊司令長官・海軍大臣・軍令部総長という三長官全てを歴任した軍人、

       おさ み
 永野 修身 元帥海軍大将

の命日にあたります。


         

永野元帥は、1880(明治13)年に高知県で士族・永野春吉の四男として生まれました。

清水次郎長に弟子入りしようとするほど侠気に満ちた若者でしたが、同時に秀才でもありました。

元々本人は政治家志向で東京帝大入学を目指していたそうですが、1898年に腕試しで受験した海軍兵学校に116人中2番で合格し、周囲の勧めもあって入学し軍人の道へ。

1900年に主席で卒業した彼は少尉候補生となり、2年後には少尉、翌年には中尉に昇進。


明治天皇閲兵の際には常にお供をし、度々天皇が愛用されていたお召し物や双眼鏡などを直々に下賜された、まさに海軍期待の星でした。


日露戦争時には重砲隊中隊長として旅順港のロシア太平洋艦隊に対する間接射撃を指揮し、同艦隊排除に成功。

1910年に海軍大学校に入り、翌年少佐に昇進。
そして1913年にハーバード大学に留学後、中佐・大佐に昇進し、1919年には巡洋艦 『平戸』 艦長を拝命。

1920年には米大使館付武官としてワシントンに赴任し、翌年にはワシントン会議全権随員に。

1923年には少将、1927年に中将と、海軍のエリートコースを驀進。


1928年には海軍兵学校々長を拝命すると、それまでの教科書丸暗記の型に嵌める教育から、自学自習重視のダルトン式教育を採用。

※しかし残念ながら彼の離任後、その教育方針は元に戻ってしまいましたが・・・。うー

1934年に大将となり、2年後には広田内閣で海軍大臣を拝命すると、左遷されていた山本五十六を海軍次官として中央に引き戻し、軍内の改革に着手。


翌年広田内閣が総辞職すると連合艦隊司令長官となり、1937年には連合艦隊司令長官、1941年には軍令部総長に。

彼自身は留学経験などから 「軍人でなければ住み続けたい」 と言うほどの親米派であり、日米開戦反対派でした。 しかし大きな流れには逆らえず、


「戦わなければ亡国になると政府は判断されたが、戦うのも亡国につながるかもしれない。 しかし戦わずして国が亡ぶのは、魂まで失った真の亡国である。」

と覚悟を決め、真珠湾攻撃実行を命令したといいます。

1943年6月に元帥となったものの、2年後に敗戦。

既に1945年2月に軍令部総長を辞任していましたが、彼は遺書まで認めて自決を決意するも、


「責任者がこんなにどんどん死んでしまって誰が陛下を戦犯からお守りするのだ」


と親友・左近司政三に諭され断念。

開戦・真珠湾攻撃の責任を問われA級戦犯として巣鴨プリズンに逮捕・勾留されました。


極東軍事裁判中では、多くの被告らが自己弁護に走る中、永野元帥は一切それをせず、「戦争を防止できなかった責任は自らにあり」 という潔い態度に終始。

この姿勢を見たジェームズ・リチャードソン米海軍大将は、「真の武人だ」 と激賞しました。


しかしその裁判中の1947(昭和22)年・新年早々の1月2日、寒さのため急性肺炎に罹り、巣鴨プリズンから聖路加病院に搬送されたものの、3日後の1月5日に66歳でこの世を去りました。

独房の窓ガラスが割れて隙間から寒風が吹きこむため、それを新聞紙で塞いだのを規則違反だと咎められ、何度も没収された挙句の病死・・・いうなれば、虐待死でした。

永野元帥の人となりに関しては、四女・永野美紗子さんが、著書


 『海よ永遠に 元帥海軍大将永野修身の記録


の中で多くを語っておられます。


             


永野元帥は戦前、


「アメリカは蜂の巣のようなものだ。 蜂の巣に手を出せば、怒った蜂は止められない。そんな蜂のように、アメリカは徹底的に相手を叩きのめす国だ」


と言って、対米戦争に反対していたとか。

そして開戦後、ミッドウェー海戦で大敗し戦況が悪化すると、現場指揮を部下に任せ、戦死者の墓碑銘を書く日が多くなったそうな。


また家の近所にある神社に出征者とその家族が参拝に訪れ、万歳をして戦地に送り出していたそうですが、永野元帥はそうした若い兵が戦争に行くことを辛く思い、敢えて神社の前を通らず遠回りをして帰宅していたといいますから、その情け深さと心根の優しさが分かります。

そんな軍人に嫁いだ京子夫人は、

「夫が戦犯として生き延びたのは、海軍の指導者として日本が戦った正当性を明らかにするため。 それができずに死んだ夫のことを思うと、これほど残酷な死はない」

と嘆き、永野元帥が亡くなった年の秋に脳溢血で倒れ、翌年後を追うように亡くなったそうです。

           

          永野元帥御一家 (前列右端が美紗子さん)


私たちは連合国側が作り出した〝A級戦犯〟という言葉に騙されることなく、国を護ろうとした軍人の言動・思想をしっかり捉えるべきであり、単に戦争犯罪人だと批判することは控えるべきでしょう。

家族に宛てた最期の手紙には、こう記されていたそうです。

「A級戦争犯罪人トシテ真ノ権謀策動者タル諸君ト同列ニ取扱ワレ、知リモセザル沢山ノ時効ニ対シ同類項ノ如ク一括起訴セラレ、誠ニ遺憾千万也。
自分ハ曽テ支那問題ハ勿論ノ他一切ノ謀略或ハ政治的策動等ニ関与シタルコトナク終始一貫純然タル海軍軍人トシテ極メト公明正大ナル公私ノ生活ヲ営ミ来リタリ。」


その無念を慮りつつ、あらためて海軍の雄・永野元帥のご冥福をお祈り致します。

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