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辞 任

アメリカの大統領は、現在のオバマ氏で44代目。

過去その44人の中には、リンカーンやJFKなどのように暗殺されたり、そしてF・ルーズベルトのように急病などで任期を全うできなかった方が何人かいます。

しかし存命でありながら任期途中で辞任という不名誉な記録を持つ大統領は、唯1人だけ・・・今日はその


 リチャード・ミルハウス・ニクソン
     Richard Milhous Nixon


かつてJFKのライバルであった、この第37代大統領の命日にあたります。


1913年にロサンゼルス近郊でギリシァ系の父とドイツ系の母との間に生まれたニクソンは、実家は比較的裕福だったものの、兄弟が結核を患いその医療費がかさんだため、アルバイトをして家計を助けました。

高校時代は成績優秀、弁論大会で好成績を収め、早くも政治家としての資質を見せましたが、兄弟の医療費負担が理由でハーバード大学への進学を諦め、地元ウィッティア大学へ。

同大学を2番目の成績で卒業した彼は、奨学金を得てデューク大学ロー・スクールに進学し、弁護士に。

1939年には独立し、自分の事務所を開設します。


第二次世界大戦中に海軍に入隊し兵站業務に従事、除隊後はペプシコ社の弁護士になって国際的な人脈を築いた彼は、出身大学からの要請もあって1946年に共和党から下院議員選挙に出馬し、カリフォルニア州で見事当選。

(※この選挙では、後に大統領選を戦うことになるJFKもマサチューセッツ州から立候補し初当選を果たしています。)

         


その後〝反共の闘士〟として名を売った彼は上院議員への鞍替えにも成功し、弱冠39歳で副大統領候補に。

リベラル派マスコミから受けたバッシングを、テレビでの〝チェッカーズ・スピーチ〟(※チェッカーズとは娘が可愛がっていた、支援者からもらった犬の名前)で切り抜けた彼は、翌年見事大統領選に勝利したアイゼンハワー政権下で副大統領に就任しました。


積極的に外交を行ない、2期務めたアイゼンハワーの後任として満を持して大統領選挙に名乗りを上げたニクソンてしたが、その前に立ちはだかったのがJFKでした。

政治実績はJFKを圧倒し人気でも先行していたニクソンでしたが、それを逆転されたのは皮肉にもかつて自分を救ってくれたテレビでした。

ばっちりメイクもして当時の白黒テレビの見栄えを考慮したJFKに対し、ニクソンはノーメイクで演説重視・・・しかし画像に映し出された彼の姿は、明らかにくたびれた印象を有権者に与え、逆にJFKの若々しさを引き立たせる結果に。

結果、彼は敗北・・・史上最年少大統領誕生の引き立て役になってしまいました。


敗北後、一旦弁護士活動に戻った彼は2年後に政治家として復活すべく、カリフォルニア知事選に立候補したものの落選。

もう再起不能、とまで言われたのですが・・・ベトナム戦争が泥沼化していたアメリカは、彼を見捨てませんでした。


ベトナム戦争からの〝名誉ある撤退〟を公約に掲げた彼は支持を集め、1968年の大統領選に見事勝利し、劇的な復活を遂げたのです。


しかし無難に1期目を務め、再選も果たした彼を史上最悪のスキャンダル・・・『ウォーターゲート事件』 が襲います。

2期目の選挙戦の最中、野党・民主党本部が入っていたウォーターゲート・ビルに盗聴器を仕掛けようとして捕まった犯人の雇い主が実は共和党であったことが発覚。

当初関与を否定していたニクソンでしたが、揉み消し工作や司法介入が次々明るみに出たことで遂に1974年8月、自ら辞任。

その後彼は今から21年前の今日・1994年4月22日に脳卒中により81歳でこの世を去りましたが、
史上初めて途中辞任したことで、歴代大統領と違い国葬は行われず仕舞い。

以上の経過から、どうしても悪いというか暗いイメージが付きまとうニクソンですが、ベトナム戦争からの完全撤退や中国への電撃訪問など、政治家・大統領としての実績は特筆に値するもの。


また1971年8月の〝ニクソン・シヨック〟と言われるドル紙幣と金との兌換一時停止、またこれに派生した円・ドルの変動相場制への移行等々、日本にも多く影響を及ぼした大統領だったと言えましょう。


政治的力量は十分ありながら、運がなかった・・・一言で表現すれば、そんな大統領だった気がします。

もしニクソンとオバマ、どちらが優れた大統領だったか? と問われれば、私は即座にニクソンに1票投じたいですが・・・皆さんはどうでしょうか?



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