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橙 色

さて、いよいよ年末も押し迫ってきましたネ。


今日あたり、上野のアメヤ横丁へ買出しに行かれる方もいらっしゃることでしょう。

その買物客の多くが利用するであろう、日本・・・いや、東洋最古の地下鉄

 銀 座 線

が開通したのが、今からちょうど90年前の今日・1927(昭和2)年12月30日のことでした。


  
               開業当時の旧1000形車両


同線開通の立役者は、後に〝地下鉄の父〟と呼ばれた

 早川 徳次 氏  (1881-1942)

 (※シャープ創業者の早川徳次氏とは別人物)


       


満鉄から鉄道院に入った後、東武鉄道の2代目社長・根津嘉一郎氏に見いだされ赤字路線の立て直しに辣腕を振るった早川氏は、1914(大正3)年に西洋視察旅行をした際にロンドンの地下鉄を見て感動。

東京にも地下鉄が必要だと確信した彼は、「地盤が軟弱な東京では無理」 などという反対意見を押しのけ、1920年に 『東京地下鉄道』 を創業。

当初は浅草~新橋間を一挙に開通させる予定でしたが、関東大震災の呷りを受けて資金不足となり、やむなく(当時日本一の繁華街だった)上野~浅草間の開通を先行させたそうです。


当時は現在のような土木機械はありませんから、トンネルは地上から人力で掘り返し、後から天井部分を埋め戻すやり方。


       


地下を走行することから、使用された旧1000形の車体は木材が多く使用されていた当時としては画期的な全鋼製。

不燃材料を積極的に使用し、保安装置としてATS(自動列車停止装置)を搭載した最新鋭の車両でした。


また当時の電車はこげ茶色が当たり前でしたが、彼はドイツのベルリン地下鉄で採用されていたオレンジ色の塗装を採用。


この派手な色と〝東洋唯一の地下鉄道〟というキャッチフレーズで、開通当初は物珍しさで距離僅か2.2km・乗車時間約5分の地下鉄に乗るために、2時間待ちの行列ができたといいますから、まさにディズニーランド状態。


 

        当時のホームの様子           現存する旧1000形車両


徐々に区間が延長され、現在の渋谷~浅草間が全通したのは1934(昭和9)年。

後発の地下鉄と違い銀座線は車両も一回り小さく、トンネルの壁も窓からギリギリのところを通る感覚が独特でした。


また各駅に到着する直前必ず車内灯が〝パッ〟と一瞬消えるところが、何となくレトロっぽくて私は好きでした。


しかし反面なかなか冷房が付かなかったことが、社会人になってすぐ銀座営業所に配属され、同線をよく利用した私には懐かしくも辛かった思い出です。あせあせ

その私が銀座営業所を離れた後の1984年から導入が始まった営団01系は、ジュラルミン・シルバーが主体。

       


そして現在は、2012年から導入が始まり今年3月に入れ替えが終了した、かつての橙色ボディーを復活させた東京メトロ1000系が走っています。


        

ところで地下鉄といえば・・・あの春日三球・照代の夫婦漫才。


「地下鉄の電車はどこから入れたの? 

ワタシャそれを考えると、一晩中寝られないの!」


1970年代後半に一世を風靡したこの名文句、懐かしいです。


現在のように電鉄の各路線が相互乗り入れしている時代ならそこから入れられますけど、たった2.2kmの路線のみで東京のど真ん中に開通した最初の銀座線・・・一体どこからどうやって車両をトンネルに入れたんでしょ?


う~ん、それを考え出すと今晩は寝られないかも? あせあせ



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