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魔術師

今日は、私の大好きな20世紀前半を代表するフランス人作曲家、


 ジョセフ=モーリス・ラヴェル

    Joseph-Maurice Ravel

の命日・没後80周年にあたります。


       


ラヴェルは1875年、スペインにほど近いバスク地方・シブールで生まれました。

発明家で音楽好きな父親の影響で7歳からピアノを始め、12歳で作曲の基礎を学んだラヴェルの才能を見抜いた両親は、彼をパリ音楽院に入学させます。

在学中にフォーレら著名な音楽家から多くを学んだ彼は、1898年に行われた国民音楽協会主催の第266回演奏会において作曲家としてデビュー。

1900年から作曲家の登竜門ともいえる『ローマ大賞』に5年連続挑戦するも、大賞は獲得できませんでした。

しかし彼が受賞しなかったことに、恩師フォーレやロマン・ロランらが猛烈に抗議。

本選通過者全員が、審査員だったパリ音楽院の作曲家教授ルヌヴーの教え子だったことで公平性が問題視され、この〝ラヴェル事件〟によって同音楽院長が辞任に追い込まれ、フォーレが後任院長の座に。

この事件後、彼は『スペイン狂詩曲』(1907年)、『亡き乙女のためのハヴァーヌ』(1910年)、『ダフニスとクロエ』(~1912年)など数々の名曲を発表。

1914年から始まった第一次世界大戦にはトラック輸送兵として従軍した彼の身に1917年、衝撃的な出来事が降りかかります。

それは、最愛の母・マリーの死。

生涯独身だったラヴェルはマザコンだったのかもしれませんが、この深い悲しみは彼の創作意欲を大きく削いでしまいます。

1920年に 『レジオンドヌール勲章』 叙勲を拒否した彼は、1928年にはアメリカで
4ヶ月にわたる演奏旅行を敢行。

ニューヨークでは満員の聴衆から喝采を浴びるなど、このツアーによって名声を博しますが、同地でジャズなどに大きな影響を受けたものの帰国後は数える程しか作品を残せませんでした。

※帰国直後に完成した名曲『ボレロ』に関する過去記事は、こちら。
  http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10987869341.html

その理由としてもうひとつあげられるのが、体調不良。

アメリカ旅行の前年から軽度の記憶障害・言語症に悩まされ始めていた彼は、1932年にパリ市内でタクシー搭乗中に交通事故に遭い、その症状は手が震えて楽譜を書くことはおろかサインすらできなくなるまでに悪化。

脳内出血を疑った弟らによって開頭手術を受けたものの出血などは見られず、術後意識が回復せぬまま、その翌日・1937年12月28日に62歳で逝去。

ムソログスキーの代表作 『展覧会の絵』 のオーケストラ編曲などで〝管弦楽の魔術師〟と呼ばれた彼は、その才能を十分に発揮できぬまま、この世を去ってしまったのです。


そんな彼の作品の中で、私が最も好きな曲は、『弦楽四重奏曲』。

多くの作曲家が円熟期に作曲するこのクァルテットを、彼は27,8歳という若さで完成させましたが、その出来栄えは彼が尊敬していた(辛口批評で有名な)ドビュッシーが

「音楽の神々の名とわが我が名にかけて、あなたの四重奏曲を1音符たりともいじってはいけません。」

と絶賛するほど。

そうは言われたものの、ラヴェルは後に手直ししちゃいましたが。あせあせ

その絶賛したドビュッシーの弦楽四重奏曲とカップリングでCDが発売されることが多い同作品で、私がオススメするのは以下の3枚。


       


これは私が最初に聴いたジュリアード弦楽四重奏団の演奏。

中学生時代にレコードで聴いた思い出が懐かしい1枚。

名盤と言われましたが、録音が1959年と古いのが唯一残念。


       

ラサール弦楽四重奏団の演奏で、あまりクセのない標準的な演奏。
最初に聴くには、オススメです。 録音は1971年。


       

これは2枚目と同じくラサール弦楽四重奏団なのですが、違いはライヴ録音であること。(1976年)。

スタジオ録音にはない、一発勝負の緊張感が聴き手にも伝わってくる迫真の演奏・・・個人的にはこの演奏がイチ推し。

ただ残念なのは、カップリングがドビュッシーではないこと。
ですので、2枚目以降にお買い求めいただくのがよろしいかと・・・。

今宵は、久々にこの3枚を聴き比べつつ、ラヴェルの冥福を祈りたいと思います。笑3


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