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ピラニア

今日は、私のような昭和世代の映画ファンには懐かしい名脇役、


  川谷 拓三  さん


の命日・・・早いもので、二十三回忌にあたります。

       

川谷(本名:仁科拓三)さんは、1941(昭和16)年に満州(長春)で生まれました。

父親は日活のカメラマン、母親は女優という映画夫婦の三男だった彼は、6歳の時に満州から引き揚げて高知県安芸市で暮らすように。

市内の映画館で働く母の許に小学校3年生の時から出入りし、ポスター貼りや看板の架け替えを手伝いながら映画に親しんだ彼は、中学生の時にマーロン・ブランドの『乱暴者』を観て、映画俳優になることを決意。

中学卒業後の1957年4月に京都・祇園で仕事をしながら映画界入りのチャンスを待った彼は、2年後にエキストラ・グループに入り死体役でデビューすると、1960年には念願かなって東映京都撮影所の大部屋俳優に。

とは言え、斬られ役・殺され役専門で、1日に3回死体役を演じたこともあったとか。

1963年に大部屋仲間の女優・克子さんと結婚した後からポツポツと役が付いた彼は、鶴田浩二さんの第ファンだった長兄がガンで余命宣告を受けたことで、「最期に面会してやって欲しい」と懇願したところ、それを快諾してくれて亡くなる数時間前に病院にかけつけてくれた鶴田浩二さんの付き人になり、また鶴田さんの主演映画にチンピラ役として出演するように。


       


そして1971年公開の 『現代やくざ 血桜三兄弟』 で日本映画で初めて全身火だるまになる役を体当たりで演じた彼は、1974年の『史上最大のヒモ・濡れた砂丘』で初主演。

その頃から人気シリーズ『仁義なき戦い』に出演し徐々に知名度が上がると、『県警対組織暴力』(1975年)のチンピラ役で京都市民映画祭の助演男優賞を獲得。

その後萩原健一さんに声をかけられ、TVドラマ『前略おふくろ様』に出演してからお茶の間でも知名度が上がった川谷さんは、東映所属の志賀勝さんや室田日出男さん・小林稔侍さんらと〝東映ピラニア軍団〟を結成。

活動の幅を広げると、1979年に山城新伍さんと組んで『どん兵衛』のテレビCMに出演し、知名度は飛躍的に上昇。 

(同CMシリーズは、以後15年も続きました。)

東映から独立後はNHK大河ドラマ『黄金の日々』(1978年)や銀河テレビ小説、更には『3年B組貫八先生』などに出演し、芸域を広げました。

ヤクザ映画でチンピラ役を演じていた頃の凄みは薄れ、むしろ個性的と言うか人懐っこい笑顔が強く印象に残っています。


       

NHKの『歴史ドキュメント・桜田門外の変』(1993年)では、主人公・関鉄之介を演じ、更にバラエティーショーにも出演を重ねた川谷さんでしたが、長兄同様病魔に襲われてしまいます。

1995年6月に体調を崩し検査入院した川谷さんは、半年後の同年12月22日に肺がんのため、まだまだこれからという54歳の若さでこの世を去りました。


アクの強い個性の持ち主だったが故に、マンガの世界でも『がんばれ元気』の山谷勝三など彼のイメージで描かれたキャラクターが複数存在した川谷さんのご冥福を、昔懐かしい『どん兵衛』のCMを観ながらお祈りしたいと思います。


 


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