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男 気

今日は、あのイチロー選手をして 「ボクにとって唯一の師匠」 と言わしめ、私自身も尊敬するプロ野球界屈指の名将、


 仰木 彬 監督


の命日・十三回忌にあたります。


       


 1935(昭和10)年に福岡で生まれた彼は、東筑高校で投手兼四番打者として全国高校野球大会に出場し、大物ルーキーとして地元・西鉄ライオンズに入団。


野武士軍団と言われた同球団の中にあってイケメンの好男子として目立った仰木選手でしたが、投手として契約したものの、ピッチングを見た当時の三原監督に二塁手へコンバート。

以後〝いぶし銀〟の如くシブいプレーに徹し、西鉄の黄金時代を遊撃手・豊田泰光選手との二遊間コンビで支えました。


       


1967年に現役引退した後は西鉄・近鉄で長くコーチを務めた後、1987年から近鉄バッファローズの監督に就任。

※コーチ時代が20年という長きに渡ったのは、彼自身の離婚を含めた派手な女性関係が、監督就任のネックになったからだとか・・・。あせあせ


以降オリックスの監督を歴任し、リーグ優勝3回、日本一を1回制覇しましたが・・・私個人としては、通算14シーズン貧乏球団(失礼!)を指揮したにも関わらず11シーズンもAクラス入りさせたところに、仰木監督の非凡さを感じます。


根っからの遊び人で酒豪、またニュースステーションの小宮悦子キャスターを本気で口説いたという逸話もある程の粋人(?)として知られた仰木監督は、グラウンド外での選手の行動には口を出さない放任主義を貫きました。


管理野球に辟易していた選手たちやファンにとっては、堪らなく魅力的な監督でしたネ。

ただし練習は非常に厳しかったそうですが・・・。


また仰木監督の大きな功績として、2軍にいたイチロー選手の才能を見出し、さらには彼のメジャー行きを(結果的?に)認めたことがあげられます。 


他にも野茂投手・長谷川投手・田口選手など多くのメジャーリーガーを育て上げたことも。

       

〝パ・リーグの広報部長〟と自称し、人気のなかったパ・リーグの注目度を挙げようと奮闘した仰木監督でしたが、その想いが通じたのが、近鉄の監督就任1年目の1988年10月19日に行われたロッテとのダブルヘッダー・・・俗に〝10・19の死闘〟。

テレ朝が異例の中継延長をしたばかりか、ニュース・ステーションの番組枠の中でも中継を続けたこの試合の凄まじさが多くの野球ファンのハートを掴み、一気にパ・リーグの注目度をあげました。


       


また私の記憶に残っているのは、1996年のオールスターにおけるピッチャー・イチローの起用。


この時は松井選手(当時巨人)の打席で仰木監督がイチローをマウンドへ・・・しかしセ・リーグ野村監督がこれに反発、代打に高津投手を送るという一幕があり、賛否両論が巻き起こりました。


皆さんが全セの監督だったら、そのまま松井に打たせたでしょうか? それとも・・・。


しかし、このオールスター戦に前後して仰木監督は肺がんに侵され、加療を続けていたそうですが、家族やごく一部の関係者に明かしただけで、周囲には一切それを口外しなかったそうです。


病身に鞭打って再び新生オリックス・バッファローズの監督に就任し、清原選手を入団させたことを最後の置き土産として球界を去った仰木監督は、2005年12月15日に70歳でこの世を去りました。


私の手元には、仰木監督を親父・師と仰ぐ元・近鉄の金村義明さんが書き綴った本があります。

 『仰木 彬 パ・リーグ魂』 (世界文化社・刊)


       


選手として、また引退後も仰木監督と間近に接していた彼が明かすエピソードの数々は、人間性豊かな名監督の実像と男が惚れる〝男気〟を浮き彫りにしてくれます。

最近人気が陰り気味の日本プロ野球界には、彼のような味のある監督の登場が望ましい・・・ページを再びめくりつつ、そんな思いが湧いてくる私。

あらためてパ・リーグの広報部長・・・いや、救世主のご冥福をお祈り致します。
笑3


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