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ご乱行

明治維新以降、文明開化の流れの中で西洋文化を吸収し、かつ欧米様式の社交施設を建設し、そこで外国使節を歓待し日本が文明国であることを示すために作られたのが『鹿鳴館』であることは、皆さんご承知の通り。

この洋館が外務卿(大臣)・井上馨の肝入りで3年の歳月をかけ現在の千代田区内幸町に完成したのが、1883(明治16)年7月。

以後4年間が〝鹿鳴館時代〟と呼ばれ、洋装で着飾った女性を集めてパーティーやバザーが頻繁に開催されました。

       


その絶頂期ともいえる、1887(明治20)年の4月20日に開催されたのが

 〝仮面(装)舞踏会〟

だったのです。

ただし、時の総理大臣・伊藤博文夫妻の主催 (というのは表向きで、実際には英国公使夫妻が主催) で行われたこのパーティー会場は、鹿鳴館ではなく何と首相官邸(!)。驚き顔

元々行進などの際仮装をするようになったのは、15世紀・ルネッセンス期のイタリアだそうで、それが17~8世紀になると欧州全土の宮廷で仮面舞踏会は大人気となり、あまりの風紀の乱れぶりにこれを禁止した国もあったとか。

そりゃあ顔を隠して個人が特定されないんですから、参加者が羽目を外すのは当然でしょうネ。

       


というわけですから、この首相官邸での仮面舞踏会も、400人近い参加者で熱気ムンムン。

酔っぱらって一枚ずつ服を脱ぐ男性や悲鳴を上げて逃げ惑う女性もいて、舞踏会とは似ても似つかぬ乱痴気騒ぎは午前4時頃まで続いたとか。

しかもそれから1週間後・・・東亜新聞が、この舞踏会で伊藤総理が岩倉具視の次女で戸田氏共伯爵の夫人だった極子さんを追いかけ回した、というスキャンダルを詳細に報じたからたまりません。

元々伊藤総理の女好きは公然の秘密でしたが、さすがにこれはやり過ぎということで各方面から非難が集中。

勝海舟も憂国の感を強め、21ヶ条の建白書を認めて政府に意見する程でした。

これによって鹿鳴館での華やかな催し物は影をひそめるようになり、いわゆる〝鹿鳴館時代〟は終わりを告げました。

しかし首相公邸で乱痴気騒ぎをするどころか、総理大臣自らが女性を追い掛け回す・・・もし現代だったら、即辞任は間違いないところ。

しかし伊藤博文は、その後3回も総理に返り咲いています。

実に牧歌的というか、今時の政治家には羨ましい(?)時代だったんですネ。


さて、私も一度は参加してみたい仮面舞踏会ですが・・・個人的には、30年近く前の紅白歌合戦で、同名の曲をトップバッターで少年隊が歌おうとした際、某男性司会者が思わず

『仮面ライダー!』


と間違えていきなりズッコケたことを、今でも思い出します。あせあせ




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