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覚 悟

今から76年前の今日・12月7日(ハワイ現地時間)早朝、日本海軍が真珠湾攻撃を敢行しアメリカ軍に甚大な被害を与えたことは、皆さんもご存じのとおり。

しかし日本軍も、戦闘機29機を失い54名の戦死者を出しました。

作戦に先立ち、パイロットたちはまさに死ぬ覚悟・・・持ち物を整理し、遺書を残したそうな。

今日は、その中から2通の遺書をご紹介させていただきます。


『清、日米戦の嚆矢(こうし=物事の始まり)に託す。

先立つ不孝を御許し下さい。

われ、軍人なれば、元より死は覚悟の上なり。
搭乗員として機上におのれの職責を全うせしと覚え、喜び、これにすぐるものはなし。

顧みれば、世に生を享(う)けしより十九年余、身体なんら障害あらず、健全に父母の愛、兄妹の愛に甘んじ、我が身、世の不幸たるを知らず。

幸に生まれ、幸に死す。


この幸運児、ただ何一つ、報ゆることなく死すは残念なり。

人生十九年の間、父母のわれに対する労苦、考えるに忍びず。
ただ泪あるのみ。 くれぐれも不幸を御許し下され・・・。

日本祖国の空遥かに、宮城を仰ぎ、慎みて万歳を唱え奉る。

父上母上の健康を、はるか布哇(ハワイ)の空より祈る。


                      昭和十六年十二月八日』

この遺書を認めたのは、空母 『赤城』 に乗り組んだ、第11攻撃隊・第23小隊所属の坂本清・二等飛行兵曹、当時19歳。


       
        
空母『翔鶴』から真珠湾攻撃へ発進準備中のゼロ戦


もう一人、第二次攻撃隊に九九式艦上爆撃機のパイロットとして空母『飛龍』 に乗り組んだ第14攻撃隊・26小隊に所属していた清村勇・二等飛行兵曹の遺書を・・・。

『真に生命を愛する者こそ真の勇者である。


生命を愛するということは、死にたくないという事とは、大いに意味が違う。 無為な長生きをするということではない。

いかにしてこの命を捨てたら、二度と抱きしめることのできない生命を意義あらしめるか。 価値あらしめるか。 

捨てる刹那に鏘然(そうぜん=玉が鳴り響くさま)と、この世に意義ある生命の光芒を曳くか。

問題はそこにある。

何千何万という悠久な日月の流れの中に、人間一生の七十年や八十年は、まるで一瞬でしかない。

たとえ二十歳を出でずに死んでも、神寧の上に悠久な光を持った生命こそ、ほんとの長命というものであろう。

また、ほんとに生命を愛した者というべきである。

              昭和十六年十二月七日 午後五時』


文面から察するに、清村二飛曹も二十歳前・・・ご両人とも、とてもティーエージャーとは思えません。

立派な一人前の兵士として、特攻隊ならずとも死を覚悟して飛び立ったことが分かります。

そして両名とも、この真珠湾攻撃で英霊となられました。


平和な時代に生きる私たちは、果たして彼らのような覚悟をもって日々生きているのか?…真摯に反省すべきかもしれません。


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