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Iron

〝鉄血宰相〟といわれたプロイセン王国・ドイツ帝国のビスマルク首相の演説に由来した、


「鉄は国家なり」

という有名な言葉があります。

確かに鉄鋼の生産量・技術力は、19~20世紀における国家の近代化・国力を示すバロメーターであったことは間違いないでしょう。


その意味で日本が近代国家の仲間入りをしたのは、今からちょうど160年前の今日からだった・・・と言えるかも。


それまでは〝たたら吹き〟と呼ばれる古来の方法で砂鉄や木炭を原料として作られていましたが、これだと温度が低いために鉄は固体状態で生成されるため、取り出すたびに炉を壊さなければならず小規模かつ非効率な生産しかできませんでした。


そんな製鉄法を一変させる、鉄鉱石を原料として高温で連続操業が可能な洋式商用高炉での製鉄に日本で初めて成功したのが

 大島 高任 (たかとう  1826-1901)

という鉱山学者。


        


盛岡藩の藩医だった父の長男として生まれた彼は、17歳から江戸・長崎に遊学して蘭学を修めると同時に、西洋の兵法・砲術や採鉱・冶金術等を習得した秀才。

1853(嘉永6)年に水戸藩主・徳川斉昭の依頼により那珂湊に反射炉を建造し、大砲の鋳造に成功しましたが、原料が砂鉄であったため性能は良くありませんでした。

ちょうどその年、ペリーが浦賀に来航して国防の機運が高まる中、彼はより高性能の大砲の製造を目指して、1855年から良質の鉄鉱石を算出する盛岡藩・大橋に西洋式高炉の建設を開始し、2年後の1857(安政4)年12月1日に本格的な銑鉄の取り出しに成功したのです。


        
                   大橋高炉


その後、橋野・佐比内・栗林・砂子渡の各地に計10基の高炉を建設した彼は、1890(明治23)年に日本鉱業会の初代会長に就任し、〝日本近代製鉄業の父〟と呼ばれました。

しかし彼の活躍は高炉建設だけに留まりません。

高炉建設後に帰藩すると、後進に蘭学・英語・医学・物理・化学・兵術・砲術等を指導する 『日新堂』 を創設。

また北海道に渡って日本人として初めて火薬を使用する採掘法に着手・成功し、複数の鉱山を開拓。

更に日本初の坑師学校や工学寮(現・東京大学工学部)の創設にも携わりました。


とかく私たちは明治維新というと政治家にばかり目が行きがちですが、彼のように日本の近代化に大きく貢献したエンジニアにも注目すべきでしょうネ。

製鉄分野だけでなく〝日本近代化の父〟とも言うべき彼の名と業績を、どうかご記憶ください。扇子


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