FC2ブログ
慧 眼

今日は、殆どの日本人がお世話になった事のあるヒット商品を連発した名経営者・・・大塚製薬の元代表取締役社長にして150社余りを傘下に収める大塚ホールディングの初代会長だった

  大塚 明彦  

の命日・没後3周年にあたります。

       


彼を一代で大塚グループを築き上げた創業者と思われている方も多いかもしれませんが、実は3代目なんです。


よく〝3代目が身上を潰す〟なんて言われますが、大塚氏はその;例外というか、真逆。


大塚製薬のルーツは、1921年に明彦氏の祖父・大塚武三郎氏が徳島県鳴門市に創業した大塚製薬工業部。


武三郎氏の長男・正士氏が中学卒業後同社に入社し、1947年に2代目社長に就任。

1973年に発売された、皆さんもよくご存知の同社ヒット商品 『ごきぶりホイホイ』 の名付け親なんです。

その正士氏の長男として
1937(昭和12)年に徳島県鳴門市に生まれたのが、明彦氏。

1960年に中央大学工学部を卒業した彼は、大塚製薬に入社。


取締役・常務・副社長を経て、1976(昭和51)年に38歳の若さで社長就任。

そして翌年には大塚食品の社長、1982年からは大鵬薬品工業・アース製薬の会長も兼務。

その間、同社は1965年にオロナミンCドリンク、1968年にボンカレー、1983年にカロリーメイト、1980年にはポカリスエット、1985年にはファイブミニなど、ヒット商品を連発しました。


       


ボンカレーファイブミニに関しては、過去記事をご参照

  https://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10718973840.html

 https://ameblo.jp/warmheart2003/entry-12275111401.html


しかし好事魔多し、1998年には新薬開発に関わる汚職事件で名古屋大学医学部の教授に対する贈賄の疑いで逮捕され、大塚製薬の社長を辞任する辛酸も舐めています。


(判決は懲役1年8ヶ月、執行猶予3年の有罪で確定。


それでも2000年には取締役に復帰。 

2008年に大塚ホールディングが設立されると会長に就任。

2年後には同社を東証一部上場に導きました。

2014(平成26)年11月28日に77歳で亡くなられたこの大経営者には、その実力を伺わせる若かりし頃のエピソードがあります。

1970年頃、
グループの経営会議で新たな投資先の議論が行われた際、当時流行していたボウリング場建設の話が進んでいたそうな。

そんな中、当時徳島工場長だった明彦氏が、

「ボウリング場は将来製薬会社を支えるに足る事業となりますか?」

と2代目社長の父親に疑問を投げかけ、代わりに新薬開発のための研究所設立を提案したそうな。


        

                徳島工場長時代の明彦氏


          
結局父親は長男の意見を取り入れて新薬研究に投資し、結果的に会社躍進の基礎となりました。


並の3代目だったら、簡単に流行を追って失敗したでしょう。

普段同社の食品・薬品にお世話になっている方は、明彦氏の慧眼に感謝しつつ、改めてご冥福をお祈りしてください。笑3


              人気ブログランキング

スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック