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廃 業

当時損保マンだった私にとって同じ金融機関に関わるそのニュースは、入社していた大学の同期がいたこともあり、少なからずショックでした。

それは、今からちょうど20年前の今日・1997(平成9)年11月24日に

 山一證券

が臨時取締役会で自主廃業を正式に決定した、というもの。

当日は月曜日でしたが、『勤労感謝の日』 の振替休日・・・市場の混乱を抑えるために敢えてこの日に発表したと思われますが、夜のテレビニュースはどの局も同社の記者会見の模様を伝え、翌日の新聞一面はこのニュースで埋め尽くされました。

当時の野澤正平社長が、泣きながら

「みんな私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから!」

と絶叫したシーンは、今でも鮮明に憶えています。


       

同社は1897(明治30)年創業で、野村・大和・日興各証券とともに〝日本四大証券〟の一角を占めていた大手社。

しかし同社は1965(昭和40)年に経営危機に陥り、当時の田中角栄蔵相の発した日銀特融発動により救済された過去がありました。

これが 「いざとなったら、また政府が救ってくれる・・・」 という甘えに繋がったのでしょうか。


〝法人の山一〟といわれ多くの企業を顧客としていた同社は、バブル崩壊と同時に一任勘定(証券会社等が顧客の同意なしで売買内容を定めた契約を締結する取引行為)によって発生した損失につき取引先企業から補填を迫られることに。

こういった一任勘定や損失補填は1991年に法律で禁じられていましたが、同社では引き続き行われ続け含み損は膨らむ一方。

これを歴代経営陣は貸借対照表上に記載せず
(※飛ばし)、ペーパーカンパニーを利用するなどして粉飾決算で隠蔽し続けました。

しかしいつまでも隠し通せるわけもなく、1997年4月に経済週刊誌に同社の不正告発記事が連載されたことで、疑惑が噴出。

同月末に発表された同社の決算では約1,647億円という過去最大の当期損失を計上。

それまで同社の〝天皇〟として君臨していた行平次雄会長、子飼いの三木淳夫社長ら経営陣が逃げるように辞任した後、専務取締役大阪支店長だった野澤正平氏が
いきなり本社に呼ばれて 「お前、社長になれ」 。

就任後に初めて前述の飛ばしや2,600億円もの巨額な簿外債務があることを知らされ、真っ青になったとか。


ですから野澤氏もむしろ被害者と言えましょうし、号泣会見は海外から批判されたとはいえ、私は同じ長野県人である彼の誠実な人柄が滲み出ていた、と思います。

むしろ許せないのは、彼に後始末を押し付けて逃げようとした行平・三木コンビ。

しかし正義は彼らを許さず、2人とも証券取引法違反で逮捕・起訴され、後に有罪判決が確定しました。


       


厳密に同社が解散したのは2005年ですが、中央区新川にあるかつての本社ビルは残っており、現在は茅場町タワーという名称で複数の企業がテナントとして入り、当時の名残を留めています。

たまにこのビルの近くを通ると、あの倒産劇と野澤社長の号泣会見を思い出してしまう私。


「山一證券に在籍した7,700人の従業員、関連グループ会社を含めて1万人、更に彼らの家族を含めた3万人がこれで路頭に迷ってしまう。 なんとか助けてもらいたい。」

という思いを発露し部下の就職活動に奔走した彼は、その後も証券業界等ビジネス界に身を置き、79歳になられた今も存命の由。

行平・三木両名は既に泉下に没していますが、野澤氏にはこれからも当時の語り部としてその経験を後進に伝えていただきたいものです。

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