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家 元
・・・といっても、華道・茶道のお話ではありません。
今日は、落語会で自ら〝家元〟を名乗った

7代目(※自称は5代目) 立川 談志 師匠

の命日・・・早いもので、七回忌にあたります。


   


談志師匠(本名:松岡克由)は、1936年に現在の東京都文京区白山で生まれました。

1952年に東都高等学校を中退し、16歳の時に名人・五代目柳家小さん師匠に弟子入り。

2年後に二つ目に上がった頃から寄席だけでなくコントや漫談もこなす、芸達者でした。

そして1963年4月に真打ちとなり、立川談志を襲名しましたが、彼の名を全国区にした・・・というか、最大の功績は、現在も続く超長寿オバケ番組 『笑点』 を立ち上げたこと。

5代目・三遊亭圓楽師匠に、「寄席でやってる大喜利を、テレビでやろうょ」 と談志師匠が持ち掛けたことがキッカケで1966年5月から始まったこの人気番組は、彼自身が初代司会者を務め、また自ら(当時の)テーマ音楽 『笑点音頭』 を作詞してヴォーカルも務める(バック・コーラスは笑点メンバー)ほどの力の入れよう。

     

しかし当時のメンバーとの軋轢が生じ、また視聴率が思うように上がらなかったため、放送開始から3年後には降板してしまいましたが・・・。

それが転機となったのか、降板した1969年に行われた衆院選に東京8区から立候補するも落選。

しかし2年後の参院選に全国区から立候補しリベンジを果たします。


    


そして1975年、三木内閣は知名度に目を付けてか彼を沖縄開発庁政務次官に抜擢しましたが、就任会見でいきなり問題発言をしたばかりか沖縄海洋博視察時の会見に二日酔いのまま臨み、批判を浴びてしまいます。

挙句に寄席を理由に国会を欠席して党内からも批判を浴び、僅か1ヶ月余りで辞任することに。

これに懲りてか、政治からはこの参院1期で遠ざかることに。

その後1983年には真打昇進試験に関して小さん師匠と対立し、落語協会を脱退。 落語立川流を創設して自ら家元を名乗りました。

1999年には、長野県飯田市の高座で落語を上演中、居眠りしていた客に「出ていけ」と退場を勧告し訴訟沙汰になるなど意気軒高なところを見せていましたが、実はその2年前からガンとの闘いが始まっていました。

2009年には喉頭がんの治療のため長期休養を発表。

その後時々公の場に姿を現し、また高座にも上がりましたが、2011年11月21日・・・家族に看取られながら75歳の人生に幕を降ろしました。

談志師匠の落語は独特で、落語ファンでも好き嫌いがはっきり分かれるタイプだったと思います。

正直、私はあまり好きではありませんでした・・・が、体制や観客に阿ることなく自らの信念を貫いた噺家・芸人としての姿勢には、ある種の敬意を抱いてました。

弟子たちには「彼らはお手伝いさんではなく落語の修業に来たのだから」と言って身の回りの世話はさせなかったそうですし、その一方で築地の魚河岸で働かせたり戸塚ヨットスクールに入学させて鍛えたそうな。

その弟子たちから、「芸人100点、人間0点」と言わしめたのですから、まさに〝師匠〟冥利に尽きるというもの。あせあせ


良くも悪くも、不世出の奇才・鬼才・異才だったと言えましょうか。

あらためて冥福を祈りつつ、談志師匠の芸に耳を傾けてみたいと思います。





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