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絶 倫

今日は、クイズからスタートです。
この有名な俳句を詠んだのは、誰でしょう?

〝めでたさも 中位(ちゆうくらゐ)なり おらが春〟

分からない方に、もうひとつ。

〝やせ蛙(がへる) まけるな一茶 これにあり〟

あっ、もう答え言っちゃってますネ。 そう、正解は

 小林 一茶

今日は、我が故郷・信州が産んだこの俳人の命日・没後190年にあたります。


       


上記の2句のように、素朴な作品が多い一茶ですが、明治時代に入るまであまり有名ではありませんでした。

彼の名が全国区になったのは、正岡子規が松尾芭蕉・与謝蕪村と共に高く評価したから・・・しかし彼の人生は、苦難の連続でした。

その一茶(本名:小林弥太郎)は、1763(宝暦13)年に現在の長野県上水内郡信濃町に農家の長男として生まれました。


しかし彼が3歳の時に生母を亡くし、8歳の時に父親が迎えた継母とは折り合いが悪く、一茶は14歳で故郷を離れ江戸へ奉公に出ます。


そして26歳の時に小林竹阿に俳諧を学んだ彼は、29歳で一旦信州に戻ってから俳諧の修行のため西日本を旅しました。


※この帰省時に旅の記録として著した 『寛政三年旅行』 の中で、彼は


〝西にうろたへ、東にさすらい住の狂人有。 旦には上総に喰ひ、夕にハ武蔵にやどりて、しら波のよるべをしらず、たつ泡のきえやすき物から、名を一茶房といふ。〟


つまり 「自分はさすらいの身で、茶の泡のように消えやすい者だから、一茶と名乗った」 と述べており、これが一茶の名の由来となっています。


     


                  一茶自筆の書


39歳の時に再び帰省し父親を看病したものの、1ヶ月後に死去。

遺産は弟と半々にするはずでしたが、放蕩を続けた兄に半分持っていかれるのを嫌がったのか、弟・継母との間に相続争いが勃発。

父親の十三回忌の法要時にようやく和解が成立して遺産を手にした一茶は、50歳頃に江戸から信州に戻って52歳の時に24歳下の妻と初婚。

そして驚くべきは、その絶倫ぶり。

自らマメ(?)につけていた秘め事の記録を見ると、日に何度も妻を求めたそうな。

妻が妊娠中でもそれは変わらなかったそうですから呆れるばかりですが、頑張ったおかげで3男1女に恵まれた・・・ものの、残念ながら全員が夭折。


そしてその無理が祟ったのか、彼は58歳の時に脳卒中で倒れて半身不随に。

悪いことは重なるもので、その直後に妻が37歳で病死。

半身不随の彼は2番目の妻を迎えることができたものの、祝言から僅か3ヶ月で離婚。


更に63歳の時に言語障害を患いながらも3度目の結婚をして長女をもうけたのですから、最早天晴れと言うしかありません。

じ男性としては舌を巻くばかりですが、そんな彼に更なる不幸が。


1827(文政10)年6月に起きた大火で母屋を失い、土蔵での生活を余儀なくされてしまったのです。

さすがの絶倫男もガックリきたのか、その5ヶ月後の11月19日・・・生まれてくる長女の顔を見ることなく、64年の生涯に幕を閉じました。

しかし、これだけ波乱万丈かつ辛い人生を送りながらも、生涯に松尾芭蕉の約1,000句を遥かに凌ぐ約22,000句を残したバイタリティーを、今時の草食男子は見習うべきでしょう。

あっ、いや、もちろん私も・・・。あせあせ


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