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遅 刻

今や、これが無ければ私たちの日常生活は成り立たないでしょう。

今日・11月11日は、携帯やスマホ、テレビのリモコンやPCのキーボードやマウスなどに入っている必需品、


 電池の日


なんですって。


乾電池のプラスとマイナスを十一に見立てて、今からちょうど30年前の1987年に日本乾電池工業会(現・電池工業会)が制定したそうな。


さて、ここで皆さんに質問です。

電池の前になぜ〝乾〟がついているのか、またその意味は何なのか・・・ご存知ですか?

それでは記念日に因み、その乾電池を発明した日本人をご紹介致しましょう。 その発明家の名は


   や  い  さきぞう
 屋井 先蔵


     


彼は1863(文久3)年、現在の新潟県長岡市に長岡藩士の子として生まれました。


文武両道だった父親は数理にも明るかったそうですから、先蔵はそのDNAをしっかり受け継いでいたのでしょう。

しかし彼が6歳の時にその父が亡くなってしまい、母や妹と共に叔父の家に引き取られた彼は、13歳の時に東京の時計店へ丁稚奉公に。


そこで女中にいじめイジメられて体調を崩し一旦帰郷したものの、ひょんなことから永久機関の発明を目指し再び親戚を頼って上京。


そして21歳の時、東京職工学校(現・東京工業大学)を受験するも、不合格。


翌年も再挑戦したのですが、寝過ごした上に自分の持っていた時計が不正確だったため、僅か5分遅刻してしまい受験できず。


「もし正確な時計があれば、受験に間に合っていた」


と悔しがった彼は、正確な時計を作ろうと一念発起。


仕事の合間を縫って少しでも正確な時計作りに精を出した彼は、1885年・23歳の時に電池で正確に動く 『連続電気時計』 の発明に見事成功。


しかしこの時計に使用した電池は液体式のダニエル電池と呼ばれる〝湿電池〟で、手入れが必要な上に冬場は凍結して使えないという致命的な欠点がありました。


※もともと電池はイタリア人生物学者ルイジ・ガルヴァーニが、カエルの足に2種類の金属を触れさせると電流が流れて筋肉がピクビクすることから1791年に発明した〝ガルバニ電池〟が最初。
その後発明・改良された電池も、液体を使用した〝湿電池〟でした。


そこで既に東京物理学校(現・東京理科大学)の付属職工となっていた彼は、同校の学者と相談しつつ薬品が沁み出して金属が腐食するという湿電池の欠点を補うべく研究を重ね、1887(明治20)年にパラフィンを炭素棒に含浸させた、液体を使用しない〝乾電池〟の発明に成功したのです。

しかしこの乾電池を日本で特許出願しただけでシカゴ万博に出品したしまったため、模造品がアメリカで作られ日本に逆輸入される羽目に。

更に国際特許も1888年にドイツのカール・ガースナーとデンマークのヘレンセンなる人物が取得してしまいました。

嗚呼、なんと勿体ない・・・。

更に屋井式乾電池は、それを利用する電気製品そのものがなかったため、全く売れなかったそうな。

しかし暫く時が経ち1894年に勃発した日清戦争時、戦地・満州で湿電池が凍結して使い物にならない中、屋井式乾電池だけが電信用の電源として使用でき、新聞の号外で

「満州での勝利はひとえに乾電池によるもの」


と報道されたことで一気に知名度が上がり、日露戦争でも屋井式乾電池は活躍。

彼は1910年に 『合資会社 屋井乾電池』 を設立して東京・神田に販売部、浅草に工場を建設し、現在のような円筒形の乾電池を量産。


       


特許は先を越されたものの、海外メーカーとの競争にも打ち勝って〝乾電池王〟と謳われるまでになったのです。

乾電池を交換する際には、1927(昭和2)年に急性肺炎により66歳で急逝した日本の誇る〝乾電池王〟屋井先蔵の顔と名前を思い出してください。


やい、乾電池をに発明したのはオレだぞぅ〟・・・って。あせあせ


あっ、それからもう遅刻の理由を時計の誤作動や電池切れのせいにはしないように。


※彼の生涯・業績を詳しく知りたい方には、この本をオススメします。

  『白いツツジ 「乾電池王」 屋井先蔵の生涯
                     (上山明博・著 PHP・刊)


       


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