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止め男

身から出た錆とは言え、今の社民党は消滅寸前で見る影もなし。


しかし私が学生の頃は、自民党に対抗する野党第一党として元気な時期もありました。

その日本社会党時代に、時として鋭い舌鋒で与党を苦しめたのが


  おおいで  しゅん
 大 出  俊  氏

今日は、この野党を代表する論客の命日・十七回忌にあたります。


        


大出氏は1922(大正11)年に横浜市で生まれました。

学徒動員で高射砲部隊に属し、逓信官吏練習所を卒業後は横浜鶴見郵便局に勤務。


労働組合運動に取り組み、全逓(全逓信労働組合)本部書記長や副委員長、総評(日本労働組合総評議会)の副議長を務めた、いわゆるバリバリの闘士。

全逓時代には、当時郵政大臣に任命された田中角栄氏とやりあつたそうですが、その田中氏が自らの政務担当秘書が亡くなった際、その後任に大出氏起用を打診したことがあったとか。

さすがにそれは認められませんでしたが、敵を取り込む意図が多少なりともあったとはいえ、あの田中氏から白羽の矢が立ったのですから、大出氏が当時から一目置かれる逸材であったことは確かでしょう。

1963(昭和38)年に日本社会党公認で旧神奈川1区から日本社会党公認で出馬し、初当選。


以後当選11回を重ねました。


ロッキード事件が起きた際には、かつて自分を引き抜こうとした田中氏を厳しく追及し、爆弾質問を連発。

何度か審議を止めたことから、〝国会の止め男〟と異名を取りました。

そして1986~91年の5年間にわたり同党の国対委員長を務め、自社さ連立政権の樹立に奔走。

1994年の村山内閣では、長年関わってきた郵政省のトップ・郵政大臣に任命され、初入閣。


        

            中央が大出氏 右下がムーミン・武村氏

しかし1996年衆院選には立候補せず、政界を引退。

その5年後の2001年11月8日、79歳で静かにこの世を去りました。

戦後55年体制の中では最も元気があった時代の社会党の中枢を担った方ですが、今時の立件民主党・民進党ら野党のように、週刊誌や新聞の記事だけをネタに個人攻撃をして国会を停滞させたわけではありませんでした。

大韓航空機撃墜事件の際には、公式報告書の内容の重大な誤りを明らかにして生データの公開を実現するなど、かなり突っ込んだ調査を行った上で与党を揺さぶりましたから・・・。


面白いのは、自衛隊を違憲とする社会党幹部でありながら、たびたび極秘入院していたのが自衛隊中央病院だったこと。


これは実兄が防衛医大の教授だったこともありますが、イデオロギーと個人の行動には少々矛盾があったようです。あせあせ

とは言え、実際は社会党内でも右派グループに属していたようですから、大目に見ましょうか・・・。

個人的には彼ら社会党の主義主張は持ったく受け入れられない私ですが、最近のだらしない野党議員を見るにつけ、与党にピリッと緊張感を与えるためにも大出氏のような論客が野党にいて欲しい、とも思います。

そんな無い物ねだりをしつつ、いつもストライプ生地の背広で颯爽と質問していた大出氏のご冥福をお祈り致します。笑3


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