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辛 抱

ここ数年来、外国人力士の活躍ばかりが目につき、個人的にはすっかり興味が失せた大相撲ですが、昔は何人も好きな力士がいました。

今日は、そのうちの一人である、第59代横綱


 隆の里 俊英 

の命日・七回忌にあたります。

隆の里関(本名:高谷俊英)は、1952(昭和27)年に青森県南津軽郡浪岡町(現・青森市)に生まれました。


中学時代は柔道に打ち込んでいた高谷少年が各界に入るキッカケを作ったのは、一人のタクシー運転手だったとか。

二子山親方(初代・若乃花)が故郷・青森に後の横綱・若三杉となる下山勝則少年をスカウトに来た際に乗ったタクシーの運転手から

「親方、浪岡にも大きいのがいますょ。」

と紹介され、興味を持った親方が会ったのが、高校入学直後だった高谷少年でした。

当時足を怪我していたため固辞したものの、東京見物をエサに夜行列車に下山少年と共に乗せられて上京・・・そのまま弟子入り。

1回のスカウトで将来の2横綱をゲットしたんですから、凄いですょネ。

しかし〝花のニッパチ〟組の一人だった若三杉関がトントン拍子に出世したのに比べ、隆の里関は番付を行ったり来たり。

その原因は、糖尿病でした。

なんと彼は未成年の時から酒好きで、部屋を抜け出しては飲みに出かけたり、チャンコと一緒にウィスキーを飲んでいたそうですから、糖尿病になるのは必至。

それでも1975年5月場所で新入幕を果たします・・・が、病気のせいもあってしばらくは十両と幕内を行ったり来たり。

タニマチの宴会でも病名を公表して飲むのを控えるなど治療に励んだおかげで病状が安定するとともに成績も高止まりするようになり、1982年1月場所後に当時最も遅い82場所・29歳9ヶ月で大関に昇進。

そして同年9月場所には15戦全勝で初優勝を果たすと、翌1983年7月場所で2度目の優勝を果たし、超遅咲きの30歳11ヶ月で横綱に昇進。

若乃花親方のテレビCMの名文句、「人間、辛抱だ」 を体現したような相撲人生を歩んだ彼は、世間からは当時流行っていた連続テレビドラマになぞらえて〝おしん横綱〟と呼ばれ、人気を博しました。

          ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


彼の戦績の中で特筆されるのが、国民栄誉賞を受賞した名横綱・千代の富士に強かったこと。

対戦成績で16勝12敗(十両を含めると18勝13敗)と勝ち越しており、更に千代の富士の横綱昇進後に限っても11勝6敗と圧倒したのですから、大したもの。

まさに〝ウルフの天敵〟でした。

1986年1月場所で引退を表明するまで横綱在位は15場所と短かったものの、病気を闘いながらも全勝を含む優勝2回、横綱在位通算成績95勝42敗75休、勝率.693は立派。

引退後は年寄・鳴戸を襲名して鳴戸部屋を創設。

自身の体験を踏まえ食事を含めて
力士の管理を徹底し、また学生相撲出身者を一切採用せず中卒叩き上げの若者を数多く入門させ、若の里・隆乃若・稀勢の里ら3人の関脇を含む7人の関取を育て上げた手腕は高く評価されました。

ただ一方で旧態然としたシゴキを伴う稽古が一部の弟子から反発を買い、2011年には週刊誌に暴行疑惑を取り沙汰されたことも。

その問題に関する緊急理事会が開催される日の前日、同年11月7日に、鳴戸親方は体調を崩して病院に運ばれたものの、急性心不全により59歳で突然この世を去ってしまいました。

そのタイミングから一部では自殺も囁かれましたが、一連の報道によりただでさえ体調が思わしくなかった親方に心身ともに負担がかかったことは否めないでしょう。

現役時代より30kgも体重が増えていたそうですが、引退後も節制を続けていてくれればもっと角界に貢献できた方だっただけに、実に残念。

あらためて〝おしん横綱〟のご冥福をお祈り致します。笑3


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